仙台市在住の歌手さとう宗幸(62)が24日、東日本大震災後、初めて取材に応じた。被災直後の「恐怖の3分間」を振り返り、「美しいふるさと宮城を必ず取り戻す」と宣言した。

 さとうは、自家用車の中で被災した。11日午後、ミヤギテレビ「OH!

 バンデス」(月~金曜午後3時50分)に出演するため、仙台市内を走行中に地面が大きく揺れた。運転できずに停車すると、隣に停車した大型トラックが激しく横揺れしていた。

 さとう

 ハンドルをしっかり握りながら、ドアにぶつかった揺れは初めて。地震の揺れの怖さ、トラックが倒れてきたら終わり…。長い3分間。怖かった。

 自宅の電気がつくまで5日かかり、氷点下4度の中、妻と布団の中で「避難所の人は毛布1、2枚で恐らく死ぬ思いでいる」と話しながら寒さに耐えた。東北学院大に入学して住み始め、音楽活動を始めた仙台が暗闇に包まれ「無性に寂しくなった」という。電気が復旧し、テレビで津波の映像を見ると言葉を失った。レギュラー出演する「OH!

 バンデス」は22日に放送が再開したが、スタッフに「もう津波や地震の映像は流さないでくれ」と頼み、代わりに被災者を勇気づけようと、ギターを手に毎日歌っている。

 さとう

 復興は長期的なもの。長い目で協力してほしい。地方の財政で再興できるレベルじゃない。国のリーダーの英断で消費税を5%上げて復興のために使うなど、国家プロジェクトとして考えてほしい。

 「青葉城恋唄」で仙台を歌い、全国区になったさとうは、宮城の復興に歌手生命をかける。【村上幸将】

 ◆さとう宗幸(さとう・むねゆき)本名・佐藤宗幸。1949年(昭24)1月25日、岐阜県生まれ。宮城県古川市(現大崎市)で育ち、東北学院大在学中に音楽活動を開始。78年のデビュー曲「青葉城恋唄」が100万枚を売り上げる大ヒット。81年、ドラマ「2年B組仙八先生」に主演した。プロ野球楽天のファンクラブ名誉創立会員。