「ハイッ!」というポーズと軽妙なトークで活躍したタレント宮尾すすむ(本名山口進)さんが12日午後2時56分、肺炎のため都内の病院で死去していたことが13日、分かった。6月半ばに悪性の食道がんが分かり、内臓機能が低下していた。77歳だった。歌手の司会からワイドショーのリポーターに転身し、数々のテレビ番組で活躍。94年(平6)7月に脳出血で急死した妻明美さん(享年46)をいちずに愛した宮尾さんの葬儀・告別式は、明美さんの命日の18日に、明美さんの眠る東京・高輪の高野山東京別院で営まれる。

 宮尾さんは、食道がんだった。この日夜、会見したタレントで事務所社長も務める長男山口雅史(35)によると、宮尾さんは6月半ばに飲み込みが悪くなり、病院で精密検査を受けていた。医師は山口に「手術の難しい場所で、余命3カ月」と告知。山口は宮尾には検査結果を知らせないままだったという。

 覚悟は決めていたが、父との別れは突然だった。11日夕に仕事先に「危ない」という連絡が入り、12日午後に血圧が急激に下がり、息を引き取った。亡くなる直前、山口は「僕、仕事頑張っているからね」と声をかけた。宮尾さんは山口の結婚を心配していたが、5月に最愛の人と婚姻届を提出。宮尾さんは心から「良かったね」と言ってくれたという。父への最後にして最高の報告だった。

 94年7月18日、宮尾さんの妻明美さんが脳出血で急死した。まだ46歳だった。同9日に仕事先の大阪から自宅に電話した時、明美さんは「頭が痛い」と訴えた。緊急入院から4日後の13日に「脳死」を宣告された。最後まで、宮尾さんは手を握り締め続けた。

 高野山東京別院にある明美さんのお墓に、宮尾さんは花を絶やしたことはなかった。2人は知人の紹介で知り合い、全日空の客室乗務員だった明美さんの乗務する便を調べて乗り込み「やっ、偶然!」と口説き続け、75年3月に結婚した。その愛妻の急死に「2度と経験できない幸せを与えてくれました。そして最高のつらさも…」と号泣した。当時、山口は大学受験を控えていた。それまで「薩摩隼人(はやと)」で亭主関白だったが、一転、山口のために料理、洗濯をするようになった。

 明美さんの四十九日法要が営まれた94年8月28日の直前、宮尾さんは腸捻転で緊急手術を受けた。1日遅れたら命取りの病状で復帰会見では「天国に行く前の女房が守ってくれた」と話した。その後、健康の大切さを痛感し、自然食品店をオープン。著書も出版し、明美さんへ愛と感謝のメッセージを送り続けた。

 尿道擦傷、急性硬膜下血腫など晩年は体調がすぐれなかったが、愛妻の命日と重なる18日の告別式。山口は「(命日もあって)18日にしました。父は母に会いたいと思っていたと思います」と話した。宮尾さんは、きっと喜んで旅立つのだろう。

 ◆宮尾(みやお)すすむ

 本名・山口進。1934年(昭9)3月8日、満州・新京(現中国・長春)生まれ。小学校卒業時に帰国し、鹿児島県川内市(現薩摩川内市)に住む。65年に漫談家宮尾たか志(故人)の内弟子となり、森進一、美川憲一らのステージ司会を務め、73年にフジテレビ系「ラブラブショー」でテレビに進出。同局系「スターどっきりマル秘報告」で登場する時、顔の前で両手を交差させて、右手の平を右アゴに乗せて「ハイッ!」のポーズを披露。テレビ朝日系「モーニングショー」の「ああ日本の社長」は9年続いた名物コーナーだった。175センチ、血液型A。