4年ぶりにサッカー担当に復帰した。時効だと思うので、思い出話を。07年、千葉県浦安市内の中華料理店。私は成り行きで、日本代表のイビチャ・オシム監督を、自宅まで乗用車で迎えに行くことになった。あるサッカー関係者と食事をしていたところ「オシムさんも来ることになったから。塩畑くん、クルマあるなら迎えに行ってくれへんかな?」となったのだ。

 Jリーグ千葉時代からの担当だ。面識どころか、事あるごとに「日本のサッカーは成長しているのに、君らメディアと来たら…」としかられてばかりいた。見慣れた浦安の道を、いつになくがっちりとハンドルを握り締めて、乗用車を走らせた。夜空からは霧雨。傘をさして、軒先まで迎えに行こうか-。そう思って、オシムさんの家がある通りに差しかかったところ、夜道に大きな人影があった。

 傘が妙に小さく見えた。見間違えるわけはない。オシムさんは雨の中、早々に家を出て、迎えを待っていた。待たせたことを謝りながら、小さなクルマに乗り込んでもらおうとした。

 しかしいくらシートを下げても、リクライニングさせても、190センチのオシムさんは助手席にうまく収まらない。首を傾けてもらい、ムリに座ってもらって、何とか出発した。そんな調子だから、中華料理店の駐車場でクルマをおりる時に、また苦労したのは言うまでもない。

 機嫌がいいとは到底思えない。無言で店に向かって歩く後ろを、恐縮しきりで続いた。するとオシムさんが、急にポツリと言った。「ジェフボーイ、日本は好きか?」。

 英語で話すことをあまり好まないオシムさんが、自分から話しかけてくることは、そうはない。しかもあまりにもシンプルな質問。いったいどういうことだ? 瞬間的に頭をフル回転させたあげく「イ、イエス。オフコース」と答えた。

 するとオシムさんは振り返ることもなく、軽くうなずくだけで済ませた。店に入ると、すでにオシムさんの席には、好みの日本酒の1合瓶が置いてあった。手酌で始め、いつものようにサッカーのトレンドを雄弁に語り出すと、もう質問の意味を問う余地はなくなった。

 それから私のオシム監督取材は、読者のみなさんのためである一方で、「あの質問」の意味を探すものになった。同年9月、オーストリアで行われた3大陸トーナメント。日本代表は直前のW杯で無失点だったスイス代表から、機動力を生かして4得点を挙げて勝った。試合後オシムさんは、会見場の机に置いてあった缶ビールをあけて、乾杯のしぐさをしてみせた。

 千葉時代、誕生日にワインを贈っても、人前では受け取ろうとしなかった。ユーゴスラビア代表監督時代に「アルコール依存症」とメディアに書き立てられて以来、公の場で飲酒することはなかった。それが、しぐさだけとはいえ、あの時だけは違った。それだけ日本代表のサッカーに、強い手応えを得たということだろうと思った。

 それで「あの質問」に、私の中ではっきりと1つの答えが出た。オシムさんは、日本人の良さを最大限に生かしたサッカーを目指していた。そのためには、オシムさんの手腕もさることながら、私たち日本人が自分たちの良さを再確認しなければいけない。

 オシムさんのプロジェクトは、日本サッカーのレベル向上を目指すものである一方で、日本人が自分たちの長所を見つめ直す機会を持つためのものだったようにも思う。スイス戦。運動量と連動性、プレー精度という自分たちの長所を生かして勝った日本を、心の底から誇りに思った。

 試合後の記者会見に集まった報道陣の表情にも、誇らしさはにじんでいただろう。だからこそ、オシムさんは自分への風評を気にせずに、乾杯のしぐさをしたのではないだろうか。

 内戦で一度は愛する母国を“失った”あの人ならではのメッセージだったと思う。オシムさんは直後に、脳梗塞で倒れた。搬送された浦安市内の病院は、くしくも私のマンションの目の前だった。非公式に知らせを聞いて、私はあてもなく病院の敷地内に駆け込んだ。日本協会の広報担当が飛んできて「ありえないですよ、こんな時に!」と怒鳴った。言い合いをしたが、今思えば、きっと広報担当も私も同じ思いだった。

 09年1月4日。オシムさんは日本を後にした。報道陣向けの特別通行証を手に、搭乗スポットまで見送りに行くと、車いすのオシムさんは「ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ」と最後は日本語で言った。日本サッカーに、そして日本人に向けたメッセージと受け取った。彼に鍛えてもらった記者だから、泣くわけにはいかなかった。

 私はその後、サッカー担当を離れた。ゴルフ担当を4年間。世界を目指して戦う、志ある選手たちに、本当にいい取材をさせてもらった。そして今年、サッカー担当に復帰した。

 担当クラブは浦和。オシムさんと縁があるペトロビッチ監督は言う。「日本人は外国にあるものを高く評価する。そして日本にあるものを低く評価するし、それが外国で評価されると、急に評価を高くあらためる。日本のサポーターのみなさんは、日本でプレーする日本人選手を、もっと高く評価するべき」。

 そしてブラジル人補強頼みではなく、J育ちの選手の良さを生かしたチームで、高みを目指す。私はうれしく思う。確かに代表合宿を見ても、Jリーグの試合を見ても、レベルは上がっていると感じる。オシムさんの志は、しっかりと受け継がれている。

 そして今回、オシムさんと同郷のハリルホジッチさんが、日本代表の監督に就任した。その直前、リールの自宅を訪ねて、何度か話をさせてもらった。せんえつながら、オシムさんの残した「志」を、私たち日本人がどう思っているかも、手紙に書いて伝えた。このタイミングでサッカー担当に戻ったのも、1つの縁だと思っている。ペトロビッチ監督が、そしてハリルホジッチ監督が、日本のサッカーにどういう道筋を示してくれるのか。しっかりと追っていきたい。【塩畑大輔】


 ◆塩畑大輔(しおはた・だいすけ)1977年(昭52)4月2日、茨城県笠間市生まれ。東京ディズニーランドのキャスト時代に「舞浜河探検隊」の一員としてドラゴンボート日本選手権2連覇。02年日刊スポーツ新聞社に入社。プロ野球巨人担当カメラマン、サッカー担当記者、ゴルフ担当記者をへて、15年から再びサッカー担当。趣味はゴルフだが、石川遼にも「素振り時のヘッドスピードが、ショット時には半分になる」と指摘される思い切りの悪さが課題。血液型AB。