長州の「雑草軍団」が悲願を達成した。J3昇格1年目の山口が、苦しんだ末に初優勝し、悲願のJ2自動昇格を決めた。鳥取戦で1-2の後半ロスタイムに劇的ゴールで執念のドロー。自慢の超攻撃的サッカーが最後に生きた。幕末期に長州藩の混成部隊として結成された「奇兵隊」のようなプロアマ混成チームが、プロサッカー不毛の地から旋風を巻き起こす。

 劇的すぎる優勝だった。負ければV逸の山口が最後まで自分たちのサッカーを信じた。1-2の後半ロスタイム。途中出場のMF平林が右足で決めて執念のドロー。その直後にJ2昇格を告げるホイッスルが鳴った。引き分けた町田と同勝ち点78ながら、自慢の攻撃力で大量リードしてきた得失点差で頂点をつかんだ。上野展裕監督(50)は「サポーターの後押しのおかげ」と笑みをこぼし、平林も「最高の形で結果を出して期待に応えられたのがうれしい」。アウェーゴール裏でオレンジ一色のサポーターと喜びを分かち合った。

 攻撃力は並ではない。今季、無得点試合がわずか2。引き分けも3試合と得点を重ね勝ち点3にこだわった。第2節(3月21日)にはJリーグU-22選抜相手に8得点のJ3新記録も樹立。エースFW岸田は9戦連続得点のJリーグ記録も打ち立て、32得点でぶっちぎりの得点王。MF福満(19点)MF島屋(16点)が2、3位と山口勢が独占。積み上げた36試合96点目で歓喜をつかんだ。

 幕末を生きた長州藩の先人を慕い「維新」を旗印としてクラブが誕生した。それはまさに混成部隊「奇兵隊」のようでもある。選手の半分はアマ契約。山口県発祥の衣料品「ユニクロ」の店員、テレビ局のアシスタントディレクター、スポーツジムのインストラクターなどアルバイトをする選手もいる。「昇格ゴール」を決めた数少ないJ1経験者、最年長のMF平林は「3年前とは全く違う世界になっている」と目を丸くした。ゲーム主将のMF島屋は「J2昇格のチャンスをつかんで人生を変えたいと思っている選手が多い」と、チームの思いを代弁する。

 1年前までプロサッカー空白地帯だった山口から、ついにJ2までたどり着いた。上野監督は「この経験がみんなを大きくさせる。J1を目指したい」と力を込めた。18年には明治維新(1868年)から150年の節目を迎える山口県。Jリーグの「奇兵隊」が、J2でも新風を吹き込む。

 ◆レノファ山口 1949年(昭24)に発足した山口県教員団が前身で、06年にJリーグ入りを目指す新クラブとして「レノファ山口FC」が創設された。13年にJリーグ準加盟が承認された。14年にJFL4位でJ3に昇格し、1年でJ2昇格。レノファはrenovation(維新)の「レノ」とfight(戦う)、fine(元気)の「ファ」を合わせた造語。チームカラーはオレンジ。本拠地は、山口市の維新百年記念公園陸上競技場(収容約2万人)。河村孝社長(47)。

 ◆山口県のスポーツ事情 サッカー以外で主なプロの活躍はないが、アマチュアはかつて盛んだった。カネボウ陸上部は東京に移転する06年まで伊藤国光、高岡寿成、入船敏ら名マラソンランナーを輩出。野球界では元広島の故津田恒実氏が所属した協和発酵や、光シーガルズが活動していたがすでに廃部となっている。その他、プロ野球・広島2軍の本拠地が岩国市の由宇。サッカーではFC宇部ヤーマン、FCバレイン下関が山口県社会人1部に所属している。