21日夕刻。普段は浦和の選手たちが練習に使う、さいたま市大原サッカー場のピッチを、この日は一般のファンが走っていた。

 おぼつかない足取りなのは、みなアイマスクをしているからだ。この日は応募したサポーターを招き、浦和がブラインドサッカー体験会を開催していた。

 冒頭。会を企画したMF平川忠亮(37)は、こうあいさつをした。「僕も少しの間だけですが、目が見えなくなったことがあります」。

 大げさではない。昨年3月27日。平川は突然、視力を失った。

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 その日。大原サッカー場のピッチは、暖かい日差しに照らされていた。午前11時。ウオームアップを終えた浦和の選手たちは、額にうっすらにじんだ汗をぬぐい、試合形式の練習に入った。

 ピッチをとりまく桜の木は、つぼみをパンパンにふくらませている。まぶしい陽光に満ちた、春の景色。しかし次の瞬間、それが文字通り「暗転」した。

 平川は突如、ピッチに倒れ込んだ。至近距離から蹴られたボールが、顔面を直撃した。目の付近に強くヒットし、衝撃でしばらく目が開けられなかった。

 真っ暗な世界の中で、平川は異変に気づいた。痛みはさほどでもなく、しばらくすると目を開くことができた。なのに、何も見えてこない。

 どういうことだ-。パニックになりそうになった。周囲に両脇を支えられて立ち上がったが、なかなか動きだせなかった。進む先は闇。一歩が踏み出せない。

 「うっすらと光を感じることはできました。でも本当に何も見えなかった。このまま一生見えなかったらどうしよう。本気でそう思いました」

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 幸い、視力は半日ほどで回復した。すると平川はすぐに「目の不自由な方の力になりたい」とスタッフに相談した。

 支援の仕方はいろいろある。水上マネジャーは「ヒラはサッカー選手だから、やっぱりサッカーを通して支援するのが一番では」と助言をした。

 ネットなどで調べていくと、埼玉県内には「埼玉T.Wings」というブラインドサッカーのチームがあった。

 公式サイトでは「体験会」への参加も募集している。平川は水上マネジャー、野崎トレーナーと3人で、体験会へと足を運んだ。

 「正直、最初だし、見ているだけのつもりでした」。だが、埼玉T.Wingsのメンバーからは「ぜひ体験してみてください」と強く勧められた。

 腰が引けた。しかし他の参加者の手前、誘いを突っぱねて空気を悪くしてしまうのも、気がとがめた。

 3人とも「正装」のつもりで、浦和の公式ジャージーを着ており、身体を動かしやすかったこともある。うながされてアイマスクをし、ピッチに入った。

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 最初のメニューは、手をたたいて呼ぶパートナーに向かって走っていく、という単純なものだった。

 しかし、目が見えなくなった経験がある平川ですら、そのままピッチを走ったことはない。3人とも1歩を踏み出すこともままならず、周囲の苦笑を誘った。

 耳をすまし、感覚を研ぎ澄ませなければ、相手のいる方向は分からない。それ以上に「こっちですよ」とアドバイスを送る相手を100%信頼できなければ、思い切って足を踏み出すことはできない。

 そこへいくと、子供はピュアだ。相手を信じ切って、音のする方に思い切って走っていく。「大人は疑ってかかるクセがついちゃってるのかもな」。3人はそううなずきあった。

 実際にゲームもした。ボールにはなまりの玉が入っていて、転がると音がする。それを頼りに、見えないボールを無心に追う。そして「ここかな」と探り探りに足で扱う。

 フィジカル、技術ともに日本トップクラスのウイングバックとして、長年浦和を引っ張ってきた平川だが、アイマスクひとつで子供たちと「互角」になった。

 だから、誰とでも対等にプレーができる。長くプロ生活を送ってきた平川には、それが楽しかった。

 「実は自分のプレーを見直すきっかけにもなりました。今まで何となくボールを止めて、蹴ってきました。でもアイマスクをすると感覚が研ぎ澄まされて、止める瞬間、蹴る瞬間の自分の足の動きに、すごく敏感になるんです」

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 ブラインドサッカーの奥深さを知った。平川は埼玉T.Wingsのメンバーに「活動を支援させてください」と申し出た。

 最初はボールやゴールマウスなどを寄付するつもりだった。しかしそうした道具を置くような拠点すらないと聞き、考えを変えた。

 「定期的に練習できる場所を提供するのが、一番の支援かなと」。親しい闘莉王に掛け合い、彼が経営する武蔵浦和のフットサルコートを、1カ月に10時間使えるようにした。もちろん、使用費は平川が持つ。

 埼玉T.Wingsの背番号10で、ブラインドサッカー日本代表にも名を連ねる加藤健人とは、食事を共にするようにもなった。

 席上、加藤が「浦和の試合を見に行きたいです」と言ったことがあった。すると平川と水上マネジャーは「どうやって見るんですか」と率直に問うた。

 加藤は「試合の雰囲気を感じるんです」と説明してくれた。非常にデリケートなやりとりにも思える。しかし平川は「そう思うことこそが『壁』なのかもしれません」と言う。

 「僕らは最初に『みなさんのことをよく理解させてもらいたいので、失礼なことも聞くかもしれませんが、それでもいいですか』と加藤さんに聞きました。彼は何でも聞いてくださいと言ってくれました。彼と話していると、彼らはしっかりと現実を受け止めているのだと感じます」

 加藤は体験会の冒頭で「ブラインドサッカーを知っている人は手を挙げてください」と参加者にうながす。そして「お、ほぼ全員ですね! まあ、全然見えてないんですけどね」とオチをつけて笑いをとる。

 そうやって、参加者が無意識のうちにつくりがちな「壁」を、自分側から取り去る。

 平川はそんな加藤から、いろいろな事を教わった。

 「彼とはいつもメールでやりとりをするのですが、どうやって読んでいるのか不思議でした。聞けば、スマホにはメールのテキストを読み上げてくれる機能があるんですね」

 皆にも「壁」を取り去り、分かり合う体験をしてほしい-。平川は浦和のスタッフを、加藤との食事に同席させるようになった。

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 相手のことが分かれば、自然と気遣いが生まれる。

 8月15日。東京メトロ銀座線の青山一丁目駅で、視覚障がいの男性がホームに転落し、電車にはねられ死亡するという痛ましい事故があった。

 同様の事故は多い。「やはりホームドアは必要」という声も高まっている。一方で、平川と共にブラインドサッカー体験会に参加した野崎トレーナーは「周囲の人が声をかけることも大事では」と言う。

 「自分もそうですが、一度でもアイマスクをして歩いてみれば、あの狭いホームがどれだけ危険か誰にでも想像がつく。そういう人が近くに1人でもいれば、きっと声をかけて注意を促す。それで助かる命もあったのではないでしょうか」

 平川も「そういう意味でも、ブラインドサッカーをやってみてもらいたい」と同調する。

 「浦和にはたくさんのサポーターの方がいます。僕は今ここに所属していることを生かして、多くの方がブラインドサッカーに触れる機会をつくりたい。そう思って、今回は大原で体験会をさせてもらいました。僕はいつまでクラブにいられるか分からないですけど、ブラインドサッカーとの絆はいつまでもここに残る文化になってほしい」

 今回の体験会が始まる直前。クラブハウスには「自分の名前を書いて胸に貼って」と言って、選手やスタッフに名札代わりのステッカーを自ら配り歩く平川の姿があった。

 平川を慕う選手は多い。「ヒラさんがやるなら」と、今回の体験会には前夜の川崎F戦でフル出場したMF阿部、武藤らも参加。大いに場を盛り上げた。

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 平川は思い出す。目の負傷直後、視力が回復しないまま、スタッフの手を借りてシャワーを浴びた。

 頭を洗うため、シャンプーのボトルに手を持っていってもらった時、ポンプの頭部の突起に気づいた。

 隣にあるリンスのボトルと触り比べると、突起の形が違った。そうか、こうやってシャンプーとリンスを区別するのか-。

 「ああならなければ、突起なんか意識しなかったと思うんです。半日くらいですけど、ほぼ完全に目が見えなくなって、気づかされることはとても多かった」

 シャンプーボトルの突起のように、世界は多くの「気遣い」に満ちている。自分にもできることはある。平川の奔走は続く。【塩畑大輔】