現役引退を発表した元日本代表MF福西崇史氏(32)が、サッカーへの熱い思いを口にした。磐田の黄金時代を支え、2度のW杯にも出場した同氏は昨年末に東京Vから戦力外を通告を受け、30日に引退を発表した。スパイクを脱ぐ決意までの揺れる気持ち、現役時代の思い出から代名詞でもあった激しいプレーの裏側、そして将来の目標まで、日刊スポーツにすべてを語った。◆「引退?

 少し早かったかな…」

 

 -引退を惜しむ声もある中、決意するまでの経緯を教えてください

 福西

 僕の中ではJ1でという気持ちが強くて。J1からオファーがなかった時点で、引退を意識しました。

 -J2でプレーするという選択肢は?

 福西

 東京Vと契約していれば、降格した責任もあるし、J2でやっていた可能性はあります、でも、J1でプレーするという気持ちは14年間持ち続けてきたし、トップリーグでやるということをモチベーションにもしていたので。J2に移籍するということは考えていませんでした。

 -愛媛から誘われても、その気持ちは変わりませんでしたか

 福西

 正直言って、ずいぶん悩みましたね。最後は地元でという考えもあったし、愛媛に恩返ししたいという思いもありました。ただ、1年間モチベーションが続くという確信がなかった。そういう気持ちのままプレーするのは、クラブに対しても失礼ですから。

 -引退を最終的に決断したのはいつごろですか

 福西

 1月の20日前後ですね。ただ、それまでは引退なんて考えたことがなかったですね。もちろん、毎年誰かがやめていくわけですから、引退というのを意識したことはあるけど、まさか自分がとは思わなかったですね。

 -まだできるという自信はあったのでは

 福西

 そうですね。体の面ではできる自信はあったし、やるものと思っていました。ただ、気持ちの部分では違ったんです。

 -32歳という年齢は早いようにも見えますが

 福西

 自分では35歳くらいかなと思っていたんですよ。何となく。ただ、それが少し早かった。まあ、誰でもいつかは引退する時が来るんですから。

 -引退を決めた今、一番の思い出というと?

 福西

 たくさんありますよ。初出場の時、初得点の時、W杯に出た時、優勝した時、本当にいろいろとありますね。シーズン的には01、02年。01年は成績は良かったのに鹿島に年間優勝されて、その悔しさで02年は完全優勝した。充実した年でしたね。◆「ドゥンガによく怒られました」

 -悔しい思い出は?

 福西

 これも、たくさんあります。悔しいことの方が覚えているし、楽しいことより多いですね。最初はジュビロに入って練習についていけなかったこと。周りのレベルが高くて。名波さんとか(藤田)俊哉さんとか、スキラッチとか、ついていくのに必死でした。

 -でも、そういう悔しい思いが成長していく上でバネになったのでは

 福西

 そうですね。ボランチに転向して、(ブラジル代表の)ドゥンガにもよく怒られました。こちらは素人で、向こうは世界一のボランチ。言い返せるようになるまで、ずいぶん時間がかかりました。

 -ボランチとして、福西さんには体の強さという武器もありました

 福西

 自分では決してそう思わないんですけど、バランスとかは小さいころにやっていた体操の影響はあるかもしれないですね。

 -激しいプレーも持ち味でしたね。プロフェッショナルファウルという言葉もあるけれど、それを涼しい顔をしてやる

 福西

 まあ、やられたら悔しいですから。やり返したいというより、悔しい気持ちが出たんでしょうね。ブラジル人からも教わりましたね。やり返せ、とまでは言われないけれど、マリーシア、ずる賢さみたいなものは身につきました。

 -でも、それを顔に出さない。いつも冷静に、淡々とプレーしていたような気がしますが

 福西

 それは、テレビとかに映っていないだけ(笑い)。別に、感情を表に出さないようにプレーしたわけではないですよ。◆「いつかはJリーグで監督も」

 -将来的なことは考えていますか

 福西

 いずれは指導者になりたいし、ライセンスも取りたいと思います。外からサッカーを見ることもしたい。これまでピッチだけでしたから。スクールなどで子供たちにサッカーも教えたい。恩返しに、愛媛でも教えたいですね。

 -サッカー以外のスポーツも好きですね

 福西

 まず野球。球技は好きですね。ほかのスポーツの中にもサッカーに生かせるものがあると思う。そういうのを、見つけていきたいと思いますね。

 -あとは女性人気も抜群だったマスクを生かした仕事?

 やっぱり、かっこいいですもんね

 福西

 自分では意識したことがないし、芸能人の方なんかは、僕よりずっとかっこいい。まあ、サッカー選手の中では、まあまあかなと思ってはいますけど(笑い)。今は、できるものは何でもやってみたい。何ができるか、まだ具体的には分かりませんけど。

 -指導者としての目標はありますか?

 福西

 はっきりした目標はないけれど、いつかはJリーグで監督もやってみたいと思います。

 -最後に、今一番やりたいことは

 福西

 (しばらく考えてから)気持ちの整理、ですかね。

 -まだ、引退が現実的ではないからですか

 福西

 いや、現実なんですけれど、まだ生活のリズムとかつかめなくて。少しずつ慣れてくるとは思っていますけど(笑い)。

 

 

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 引退後の福西氏は、宮沢ミシェル氏、小倉隆史氏らが所属する事務所「サムデイ」に所属し、幅広い活動を続けていくという。Jリーグと磐田の歴史とともに歩んできた名ボランチが、第2の人生に船出する。

 ◆福西崇史(ふくにし・たかし)1976年(昭51)9月1日、愛媛県新居浜市生まれ。新居浜工までFWとして活躍し、95年に磐田入りしてボランチに転向した。J1通算349試合(歴代15位)62得点(同32位)。ベストイレブンにも4回輝いた。99年6月の南米選手権ペルー戦で日本代表デビューし、Aマッチ通算64試合7得点。02年日韓、06年ドイツとW杯2大会に出場。181センチ、77キロ。