浦和が来季監督として日本代表前監督の岡田武史氏(55)招聘(しょうへい)へ本格交渉し、好感触を得たことが22日、分かった。ペトロビッチ前監督(46)が、10月15日ホーム大宮戦後の会見で今季限りでの退任を表明した直後から、岡田氏と接触。並行してリストアップしていたG大阪・西野朗監督(56)とは、シーズン中で優勝争いをしていたため、本人との本格交渉ができなかった。J1残留が決定次第、来週中にも岡田氏との交渉が成立する可能性がある。

 “岡ちゃん”がJリーグ監督に復帰する可能性が強くなった。J1残留争い中の浦和は、来季のチーム立て直しを進めるため、Jリーグそして日本代表と、監督経験豊富な岡田氏と交渉を進めていた。

 当初、真っ先に接触したのが岡田氏だった。ペトロビッチ前監督が0-1で敗れた10月15日大宮戦後に今季限りでの辞任を表明。クラブは20日に同監督を解任し、ユースを指揮していた堀孝史監督の昇格を発表した。実はその裏でフロントは岡田氏と接触。ファーストコンタクトでは否定的な同氏だったが、諦めることなく粘り強く交渉を続けた。直接交渉の場までこぎ着け、来季にかける強い思いを当人に伝えた。その後、話し合いは急展開し、交渉成立に向けて動きだした。既に年俸1億5000万円(推定)の複数年契約も提示したとみられる。

 浦和は来季に向け、監督としての手腕が実証されており、チームの強化責任者となるGM職も兼務できる日本人監督を数人リストアップ。当初は筆頭候補であったG大阪西野監督とも並行して交渉していた。しかしシーズンが佳境を迎える時点で、優勝争い中の西野監督とは直接交渉できず、代理人を介しての間接交渉で、足踏み状態が続いた。22日までに話し合いは暗礁に乗り上げたとみられる。

 その一方で、現在はフリーの岡田氏との交渉は前進していた。同氏は94年10月から日本代表コーチ、97年10月以降は同監督として経験を積んだ。99年からJ2札幌の監督に就任し、00年に1位でJ1復帰。くしくも同年にJ2で戦っていた浦和は、札幌に次ぐ2位でJ1復帰を果たしている。03年からは横浜の指揮を執り、いきなり年間王者に押し上げる偉業を成し遂げた。08年からは再び日本代表監督の指揮を執り、南アフリカW杯では前評判の低かった日本をベスト16まで押し上げた。W杯後には監督を退任し、現在はJFA理事に就任。サッカー解説者としても活動している。

 岡田氏とは、1部残留を前提に話を進めており、早ければ来週中にも、契約が成立する可能性がある。浦和は最速でリーグ戦次節にもJ1残留が決まる。26日に行われる福岡戦(レベスタ)の結果と、残留争いをしている甲府の27日新潟戦(中銀スタ)の結果を受け、残留が決まれば、契約に向けた最終的な交渉がスタートする。日本を率いた名監督が、低迷している浦和にとっての特効薬となるか。

 ◆岡田武史(おかだ・たけし)1956年(昭31)8月25日、香川県生まれ。大阪・天王寺高から早大を経て、80年に日本リーグ古河電工(現J2千葉)入り。DFで日本代表として国際Aマッチ27試合1得点。90年に引退。94年11月に日本代表コーチに就任。97年10月に監督に昇格し、98年W杯フランス大会3連敗で1次リーグ敗退後に退任するまで、5勝4分け6敗。99年から札幌を指揮し、00年にJ2優勝でJ1に昇格させ、01年に退任。03年に横浜監督に就任し、同年と04年Jリーグ制覇。06年8月に辞任した。07年11月にはオシム監督の急病により、再び代表監督に。10年W杯南アフリカ大会予選を通過し、本大会では2勝1敗で1次リーグを突破。16強のパラグアイ戦でPK戦の末、敗退した。家族は夫人と2男1女。