8月5日開幕のリオデジャネイロ五輪まで、今日5日でちょうど半年となった。既に出場権を手にした選手たちは、本番に向けて入念な準備に入っている。カヌーのスラローム男子カヤックシングルで3度目の五輪出場を決めている矢沢一輝(26)は、長野の名刹(めいさつ)、善光寺大勧進の僧侶という二足のわらじを履く。お坊さんはオリンピアン、その背景に迫った。

 つるつるの頭に、けさ姿の矢沢は、とても五輪選手とは思えない。若くがっしりした僧侶。日の出とともに起床し、日中は善光寺大勧進の護摩堂で1日6回の祈願にあたる。1回につき約300人の祈願者の名前を読み上げ、1回40分の祈願中は正座を崩さない。

 「足に筋肉があると正座はきつい。カヌーだから上半身に筋肉があるように思われるんですが、実は両膝と足の裏でカヌーと体を密着させ、カヌーと一体にならないといけません。だから正座はこたえます」

 仕事が夕方に終わると、近くの湖で真冬でもカヌーに乗る。「氷が張っていなければ乗るようにしています」。13年11月から僧侶とカヌーを両立させてきた。

 12年ロンドン五輪で日本人過去最高の9位。当時は、活動費を援助してくれる山田記念朝日病院に所属し、練習に集中できた。その環境を整えてくれたのは、長野県カヌー協会長で善光寺近くの寿量院住職だった恩人、小山健英氏だった。

 「僕もいつかは小山さんのように、若い選手が練習環境に困らないような手助けができる人間になりたい。それで小山さんと同じ仏門に入ってみたいと考えるようになり、小山さんに相談しました。仏門に入るには比叡山での修行が必須でしたので、13年の夏に決心し飛び込みました」

 2カ月の修行をやり抜き僧侶となった矢沢は国内大会を中心に競技を続け、15年4月の全日本スラローム大会で優勝。「まだやれる」。その思いで9月の世界選手権(ロンドン)で五輪の出場枠を勝ち取り、3大会連続出場を決めた。

 19歳で北京五輪(予選21人中18位)に挑み、23歳で9位。30歳が迫ってきた中で「いつかは若手のために」との思いがある。そのひとつの形として僧侶のなりわいを得た。競技力の向上に、精神的な部分を考えて仏門を選んだわけではない。

 「カヌーと仏門はまったく別もの。僧侶になったからカヌーに集中できるとか、そういうものじゃない」

 ロンドン五輪金メダルのダニエル(イタリア)は国際大会で顔を会わせると、矢継ぎ早に英語で聞いてきた。「どうしてお坊さんになったんだ?」「お坊さんになると何が変わるんだ?」。あまりの食い付きぶりに、矢沢は英語でうまく説明できない。「欧州の人は宗教への関心が高いんです。うまく説明できるようにしとかないと」。

 将来を思い描いて飛び込んだ僧侶の道。少なくとも世界の強豪選手たちは、神秘的な力を持った矢沢を、これまで以上にマークしてくるはずだ。【井上真】

 ◆矢沢一輝(やざわ・かずき)1989年(平元)3月8日、長野・飯田市生まれ。丸山小1年でカヌーをはじめ、飯田西中-埼玉・東野高-駿河台大。五輪初出場となった08年北京五輪では、スラローム男子カヤックシングル予選敗退、12年ロンドン五輪では日本人として初の決勝進出を果たし、9位。妹亜季(昭和飛行機工業)もリオの出場権を得ており、兄妹で五輪選手。法名は■英(きょうえい)。父勝美さん、母裕子さんとの4人家族。175センチ、80キロ。

※■=舟ヘンに共