横綱朝青龍(29)が4日、引退会見を開き、冒頭「大変お騒がせして、責任を取って引退しました」と頭を下げた。報道陣との主なやりとりは以下の通り。

 -心境は

 朝青龍

 何も考えていない。大勢の方々に迷惑をかけたし、責任を感じて今ここに座っているので。

 -引退の決断は

 朝青龍

 師匠との話し合いを終えてから考え始めた。大相撲に対する思いは深いので、迷惑をかけたという思いがある。

 -どんな話し合いをしたか

 朝青龍

 あるのかないのか、殴ったか殴ってないのかということもあるが、横綱としての責任を感じて、皆様にご迷惑をおかけした。

 -メディアの報道は

 朝青龍

 メディアで流れることと実際起こしたこととはかなり大きな差があったので、最後まで待っていたいと思っていた。最後にけじめをつけるのは自分しかいないので。

 -報道と違うこととは

 朝青龍

 この話は控えたい。

 -辞める決断は

 朝青龍

 いつかこういうことが来ると思っていた。こんなことになるとは思っていなかったが、自分にとってけじめなのでそれ以上のことはない。

 -吹っ切れたか

 朝青龍

 休みたいという気持ちはある。

 -振り返る余裕は

 朝青龍

 皆さんに迷惑をかけた。本当に何もない、言葉も違うモンゴルの大草原から来た少年を…横綱への支援、育ててくれた皆様に感謝したい。

 -品格を問われたが

 朝青龍

 品格、品格というが土俵に上がれば鬼にもなるし、やっぱり精一杯やらなきゃいけないという気持ちがあった。(自分が)今までにない人なので迷惑をかけた。

 -ちゃんとした横綱になりたいと奮起したか

 朝青龍

 周りから見れば25回優勝したし、これからは朝青龍という呼び方ではなくなるが、相撲に未練はない。(今後は)頭の中で選択できない。

 -日本の相撲界をどう思うか

 朝青龍

 ある高校相撲で3位になり親方から電話をもらったのがきっかけ。いろんな意味で世話になった、ちょんまげを結えるような…立派な力士にさせてもらった。これからの人生は長いので、弱冠29歳どこまでいけるか楽しみだし努力したい。

 -うれしかった思い出は

 横綱になる前で…(涙ぐみ言葉に詰まる)、横綱武蔵丸関に勝ったことだと思います(目頭を押さえる)。

 -いろいろ思い出があるか

 朝青龍

 横綱を倒して初3役になり…両親を招待して横綱を倒した。それしかない。

 -マスコミとの戦いもあった

 朝青龍

 記者だって妻も子供もいて飯を食わせていかなければならない。多少、至らないところはあったが、こういう世界では仕方がない。

 -高砂親方はどんな師匠だったか

 朝青龍

 十数年親代わりであり、同じように足を運んだようなところがあった。出会いがあればいつか別れがあると思っていた。人間としては最高の人間。あとはおかみさん、若い衆にも感謝したい。

 -横綱になってからの思い出は

 朝青龍

 負けたり勝ったりあったが、今のところこれはというのはない。大関との取組…名古屋であったが親方が「お前が一番」と言ってくれた。思えばこれだけ勝ったといういうことが一番頭にありますね。