プロ野球の開幕投手といえば、先発投手最高の栄誉のひとつである。

延期が決まったとはいえ、今年もたった12人が選ばれる。実績を積み上げた、チームの柱が務めるはずの開幕マウンドに、パ・リーグの高卒新人として初めて上がったのが阪急(現オリックス)に入団した梶本隆夫投手(享年71)だった。1954年(昭29)3月27日、高橋ユニオンズ戦(西宮)でのことだ。

岐阜・多治見工の卒業式を終え、まだ18歳の梶本少年は、立ち上がりから走者を背負いながらも力投する。6回3失点で、見事に初陣を飾った。重い球質と適度な荒れ球で、相手に集中打を許さなかった。

オリックスの2軍投手コーチだった90年に、梶本さんに当時の様子を尋ねたことがある。

「開幕の何日くらい前だったかなあ。練習を終えた後、外野の芝生に投手陣が座って雑談していた。そこで『開幕投手は誰だろう?』と話題になった。先輩方がことごとく、首を横に振る。そこで『ひょっとして、君か』と聞かれ『はい、僕です』と答えたら、皆さん、びっくり仰天していたよ」

なんとものどかな時代にプロ生活を始めた梶本さんは、通算254勝を積み重ねた。プロ野球歴代9位の大記録だ。そして敗戦数は255。つまり「借金1」なのだ。NPB通算200勝以上の投手24人のうち、負け数の方が多いのは梶本さん、ただ1人である。

前述の質問をしたときに、恐る恐るこの話題に触れてみた。すると往年の名投手は、にっこり笑ってこう言った。

「私が野球界から去って、もし商売を始めるとしたら、店の名前だけは決めてある。それは『ワン・オーバー』や」

ゴルフの成績にたとえた味のある答えに、2人で笑い合ったものだ。今季も多くの新人がプロの門をくぐった。打ったり投げたりはもちろん大切。そして梶本さんのようにあふれる個性を併せ持つ選手を、少しでも多く見てみたい。【記録室 高野勲】

梶本隆夫投手は岐阜県立多治見工から1954年阪急に入団。ルーキーで20勝しながら新人王に選ばれなかったのは梶本さん一人だけ(1968年撮影)
梶本隆夫投手は岐阜県立多治見工から1954年阪急に入団。ルーキーで20勝しながら新人王に選ばれなかったのは梶本さん一人だけ(1968年撮影)