あけすけな陽の空気に、高円寺駅の南口すぐでペダルをこぐ足が止まった。自転車の後ろに座る3歳の娘に聞かれた。
「何のにおい?」
「焼き鳥だよ。昼からビールを飲んで、みんな楽しそうだね」
「いいにおいだねぇ。パパあたし、やってみたいことがあるの」
「なあに」
「ビールを飲んでみたい。あと、サイダーも。パパもママも、おいしそうに飲んでるでしょ」
「いいね。大きくなったら一緒に飲もうね」
駅前の居酒屋を左に折れると、すぐ閑静な住宅街に入る。この辺りは日々の中にハレとケがある。アパートは少し手狭になったけど引っ越せないでいる。
「パパ、どこ行くの?」。高円寺で桃太郎といえば、北口はすしで南口ならジーンズ。岡山・倉敷に本社のある「桃太郎ジーンズ」の直営店で「修理お願いします」と右の尻ポケットと左ももが破れたジーンズを渡した。「前のポケットも破れてますね。交換しておきましょう。この型は、もう生産してないです。はき込んでくれましたね」。
8年目になる。天然の藍染めはすっかり色落ちして、白い部分の方が目立つ。
「限界ですか」
「いえ。修理すればまだまだいけます。もう少しで殿堂入りです」
殿堂入りは褒め言葉らしい。2度目の修理は1万3000円。最初が6000円だったから新品が1本、買える。「私なら新品を買うけど…よく分からない世界があるのね」。家人が言った。
11年の晩秋。楽天キャンプの最終日に倉敷で買った。午前中で練習が終わる半ドン。手締めを終えると仕立ての職人が来て、星野監督にメジャーを当てだした。股下はじめ、足周りを測っている。「スーツでも作るんですか?」。
「ジーンズだ。楽天が初めてキャンプをやった思い出に、田淵と作るんだ。倉敷は昔から繊維の街でな。クラボウとかクラレとか、にぎやかだったんだ。名残かな、今はいいジーンズを作る。これは桃太郎ジーンズという。お前も作れよ」
監督付だった小池聡氏と倉敷駅前の直営店へ直行。「大切にはきましょう」とゴワゴワの新品を購入。NGの現場を除けば当時、ほぼ毎日はいていた。「覚えてます? 桃太郎」「まだはいてるのか。いい具合に落ちてきたな」。担当を外れて会えば、そんなあいさつをしていた。
本物のジーンズは、はき込むほど体になじむ。スルと足を通し、ボタンフライを留めながら思い出す。
監督。「いい街だろ、倉敷。好きになっただろ」が口癖でしたね。娘は3歳になりました。ビールを飲みたいとか言ってます。
いくら積んでも思い出は買えない。【宮下敬至】