記者には「忘れられない味」がある。時に孤独に、時にワイワイと、あらゆる場所で、あらゆるシチュエーションで食する味は、取材の思い出として記憶と味覚に刻まれる。「忘れられない味 Season4」を、ご賞味あれ。

9月29日、楽天対オリックス 交代を告げ笑顔を見せる中嶋監督
9月29日、楽天対オリックス 交代を告げ笑顔を見せる中嶋監督

オリックス中嶋聡監督(55)をテレビで見ていると、昭和の時代を懐かしむ味がある。監督がまだ17歳だった86年、秋田県の実家を訪ね、タイの尾頭付きをごちそうになった。

記者は当時、仙台の東北支社に勤務していた。その年、先輩記者の提案でドラフト前に東北の有力候補を地方版で連載することになった。なるべく知られていない選手がいい。ニュースソースだった年配の情報通に探りを入れると「今年はあいつしかいないよ。名前は表に出ていないが、実力は抜けている。鷹巣の中嶋という捕手だ」と言う。東北球界を熟知する情報通が太鼓判を押す捕手に興味を持った。秋田・鷹巣農林(現秋田北鷹)の中嶋捕手に会うため、JR奥羽本線に乗って晩秋の北秋田郡鷹巣町(現北秋田市)へ向かった。

中嶋は鷹巣農林のグラウンドで、ドラフト前から木のバットで練習していた。「僕はプロに行きたいんです」と、プロ入りをはっきりと目標に挙げた。腰痛で欠場予定だった練習試合にスカウトが来たと聞きつけるや、志願して出場し2本塁打を放ったこともあるという。強肩にも定評があり、念願かなって阪急からドラフト3位指名を受けた。

11月20日のドラフトから数日後、間もなく初雪が降ろうかという時期に、鷹巣のホテルで仮契約が行われた。その場で担当の当銀秀崇スカウトらを取材。原稿を書き終えた後、区切りのあいさつをしようと農家の実家にお邪魔した。

実家では近所の人たちとプロ入りを祝ったのだろうか。座布団が30枚ほど敷き詰めてある広い座敷に通されると、既に人の気配はなく、酒宴の跡がそのまま残っていた。卓上の端に30センチほどのタイの姿焼きが置いてある。金ボタンの学生服を着た中嶋は照れくさそうに「残り物みたいで申し訳ないですけど。せっかく来ていただいたので、どうぞ食べていってください」。わざわざ1食分、確保しておいてくれたようだ。全国的には隠し玉のような選手だったこともあり、ドラフト前から取材に通った記者は他にいないことを気にかけてくれたのだろう。気遣いに感謝し、ありがたくお相伴にあずかった。

タイの尾頭付きには縁がなく、食べるのは初めてだった。ほんのり塩が染みている。子供のころ、父が「魚は頭がうまいんだ」と言っていたことを思い出すと、なるほど目の周りやほおの身は濃厚でうまい。味もさることながら、タイをつまみながら交わした雑談の方が印象に残っている。

中嶋は秋田県の大先輩、阪急の大エース山田久志の名前を出し「やっぱり阪急ですから山田さんの球、捕りたいですよね」と言った。中嶋が入団した時点で、山田は38歳。正直、年齢的にすれ違い、山田と一緒に試合に出るのは難しいだろうと思っていた。ところが高卒2年目の88年、阪急上田利治監督に評価され、出場機会が増えた。5月3日西武戦で、この年が現役最後となる山田と初めて先発バッテリーを組んだ。同年10月23日ロッテ戦(西宮)は翌年からチーム名がオリックスになるため、阪急として最後の試合。山田の現役最終戦で通算284勝目をリードし、自ら惜別の3ラン本塁打を放った。

88年4月、阪急時代の中島聡捕手
88年4月、阪急時代の中島聡捕手

高校入学当初からプロ入りの目標を立て、タイの尾頭付きの前で熱望した山田との先発バッテリーを6度実現。有言実行してくれたのがうれしかった。そういえばタイは長寿を象徴する魚だとか。中嶋の実働29年は工藤公康、山本昌に並び、プロ野球記録の長寿選手だった。今や21~23年にパ・リーグを3連覇するなど貫禄たっぷりの名監督に。記者におもてなしの心を見せてくれてから38年。姉がいる末っ子、実家の庭で白毛の秋田犬をかわいがっていた学生服の好青年は、素晴らしい野球人生を歩んできた。【織田健途】