野球経験者の現役国会議員の原点を掘り下げる「私と野球」第3回は、中道改革連合の階猛幹事長(59)から話を聞いた。

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野球を通じ大切な人生観を学んだという階氏は「自分の能力の限界を知ったと同時に、どうあるべきかと生き方を学んだ場所。野球は『人生の教師』みたいなものでした」としみじみと述べた。盛岡第一(岩手)卒業後に東大を目指して代々木ゼミナール千駄ケ谷校に通いながら浪人生活をし、2浪目に転機が訪れた。

「ふらっと神宮球場へ6大を見に行ったら、東大がいい試合をしていました。東大に入学したら野球部に入るのは面白いなと思わせてくれて、自分への活力になりました」。2浪時からジムに通い始め体を動かすと、立ち寄ったゲームセンターにあったスピードガンで139キロを計測。アンダースローだった高校時代は最速120キロ足らずだったが、2浪時の方が球威が増したことで自信をつかんだ。

2浪の末に東大入学後は2年春からベンチ入り。同期でロッテOBの小林至氏(桜美林大教授)らと投手陣の一角を担い、早大・小宮山悟氏(現監督)との投げ合いは今もはっきりと記憶に焼き付いている。「驚いたのは彼が投げた後のマウンドです。普通は着地位置がバラけるものですが、1歩目のスパイクの跡がきれいに同じ場所に重なっている。フォームがそれだけ一定なんだと衝撃を受けました」と振り返る。悔やまれたのは、東大の公式戦70連敗を止められなかったことだ。88年春明大2回戦に先発すると6回まで無失点に抑えるも、1点リードの7回裏に現西武球団社長の奥村剛氏に2ランを浴びて逆転負け。「スライダーがいい所に決まったと思ったのがボールと判定されて、カウントが悪くなって。次の球が甘く入ったところをレフト席に運ばれて、がっくりときました」。大学途中では肩を壊したことでやむなく投手を断念し、4年時は野手に専念。「勝てなかったし、肩も壊した。苦い記憶ですが、もしあそこで1勝していたら司法試験にチャレンジしようとは思わなかったかもしれません。逆境に強くなれたし、今の政治の世界でも諦めずに努力を続ければどこかで結果が出ると信じています」。今でも時間があると、神宮へ足を伸ばす。「球場の雰囲気、応援、周りの景色が好き。何と言っても応援は東京6大学ならでは。あの熱のこもった応援が聞こえてくるとやはり心が躍る。あの場所にいるだけでいい」。卒業してもなお、ひきつける。原点であり、心のよりどころだ。【平山連】

◆階猛(しな・たけし)1966(昭41)年10月7日生まれ、岩手・盛岡市出身。小学3年で野球を始め、盛岡第一を経て、2年間の浪人を経て東大に進学し、硬式野球部では2年春にベンチ入りを果たし、投手ではリーグ戦通算0勝5敗、防御率4・53、打者では2安打。卒業後は日本長期信用銀行に入行。勤務を続けながら、10度目の挑戦で司法試験に合格。07年の衆院岩手1区補選に民主党から出馬して初当選を果たし、現在8期目で中道改革連合幹事長兼選挙対策委員長を務める。右投げ右打ち。

2016年11月、民進党野球チーム「民進党カチマス」対女子中学生野球チーム「三鷹クラブW」 対戦する東大野球部出身の階猛衆院議員(左)。右は前原誠司元外相
2016年11月、民進党野球チーム「民進党カチマス」対女子中学生野球チーム「三鷹クラブW」 対戦する東大野球部出身の階猛衆院議員(左)。右は前原誠司元外相