平成の記録を随時ひもとく記録編の第2弾は、40代選手を取り上げます。平成の球界を振り返ると、40代選手の増加が目に見えた特徴になっています。

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今季も40代選手の快挙が見られた。7月20日、43歳の上原(巨人)が日米通算100勝、100セーブ、100ホールドの「トリプル100」を達成。9月22日には42歳の福浦(ロッテ)が球団3人目の通算2000安打に到達した。同28日には43歳の岩瀬(中日)が前人未到の1000試合登板。40代選手の活躍が話題になるのは、平成ならではの傾向といえる。

昭和の大ベテランといえば、45歳までプレーした野村克也が有名だった。野村が持っていた実働26年の最長記録は、平成に入り4人に更新されている。工藤公康、山本昌、中嶋聡が29年、谷繁元信が27年。ちなみに日米通算ではイチローが実働27年(日本9年、米国18年)を経過し、来年3月の日本開催試合で選手登録される見通し。59~66年に8年続けて40代が1人もいない時期があったが、今や40歳程度では誰も驚かない。落合博満、山本昌、山崎武司、宮本慎也のように、40歳を過ぎて複数年契約を結ぶ選手も出ている。

40代選手の出場は07年に史上初めて2桁人数となる11人に増加。当時の11人とは工藤公康、山本昌、小宮山悟、吉井理人、古田敦也、吉田修司、吉田豊彦、佐々岡真司、デニー(友利結)、河本育之、田中幸雄。15年には黒田博樹、高橋由伸ら史上最多の20人を数えた。山本昌は15年10月7日広島戦に50歳1カ月で登板。引退登板のため打者1人(投球3球)とはいえ、ついに史上初の50代選手が登場した。

95年に西武で宮本英治氏が「ストレングス&コンディショニングコーチ」に就任した。平成以降、耳慣れない肩書のコーチが存在するようになり、選手のケアを助ける。スポーツ医科学、傷害予防のノウハウは徐々に確立され、栄養補助食品も進化した。息の長い選手は球界に限らない。サッカー界では横浜FCのFWカズ(三浦知良=51)、ノルディックスキーではジャンプの葛西紀明(46)のように、「レジェンド」と呼ばれる選手がいる。

来年は阿部(巨人)能見(阪神)らが不惑プレーヤーの仲間入り。再来年には松坂(中日)藤川(阪神)らの「松坂世代」が大台を迎える。【織田健途】

02年6月、カブレラは宮本英治トレーニングコーチとリハビリする
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7月、巨人対中日 日米通算100勝100ホールド100セーブを達成した巨人上原(右)と握手を交わす高橋監督
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