投手転向、気になる点は? 中日根尾昂外野手(22)が本格的に投手転向することが決まったというニュースが先日、ファンを驚かせました。そこで思い出すのがかつての「二刀流」から投手転向した嘉せ敏弘氏(45)。現在、阪神で打撃投手を務める嘉せ氏は根尾選手へ期待と少々の不安を持っている様子です-。

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根尾選手の「投手転向」を聞いて嘉せ氏は「自分と少し似てるかも」と感じたそうです。「甲子園のスター」として注目され、ドラフト1位でプロ入り。しかしスラッガーとして芽が出ないうちに浮上してきた二刀流プラン。そこからの投手転向です。「それに体がそれほど大きくないところも共通してます」。確かにプロセスなど類似点は多いような感じです。

「3年目(97年)の宮古島キャンプだったかな。突然、仰木監督に『ブルペン行ってこい』って言われて。何だろうと行ったら投球練習させられた。スピガンで計測して監督も『行けるな』みたいな感じで」

同年、嘉せの二刀流が実現しました。今でも強く記憶に残っているのはプロ初登となったの97年4月18日、日本ハム戦です。グリーンスタジアム神戸(当時)で行われた試合で嘉せ氏は落合博満氏に満塁弾をバックスクリーンにたたき込まれました。眼前で、プロのすごみを感じたのを今でも覚えています。

「もちろん記憶に残っていますね。そらあ、甘くないなと思いましたよ」。嘉せ氏がそう振り返った試合を含め、このシーズンの実戦は2試合でしたが、当時、本人が驚いたのは自身の球速と言います。

「変化球主体だったのもあったけど高校のときは最速142キロ。それが投手の練習をしてないのに急に投げて148キロが出た。プロ選手のトレーニングのおかげかと思いましたね」

そして3年ぶりに投手として投げた00年シーズンに初勝利をマーク。すると01年からは本格的に投手登録になり、背番号もそれまでの「9」から「28」に変更となりました。めずらしい野手から投手へのコンバートが実現したのです。

その01年シーズン、嘉せ氏は中継ぎ左腕として実に70試合に登板しました。しかし振り返れば、これが選手生活に少なからず影響を及ぼしたと言います。

「プロ入りしてから5年ぐらい、投手の練習はしていなかったんですよ。それがいきなりの70試合。そのシーズンはどうってことなかったけど翌年からガクッと来て。球がいかない感じで。肩のスタミナというか、投手の肩は繊細な鍛え方が大事なんだなと実感しました」

投手のまま現役を引退しましたが現在も阪神で打撃投手を務めています。その嘉せ氏、根尾選手には期待と少しばかりの不安を持っている様子です。

「何と言っても150キロを投げるんだし、変化球もいいし、ボクなんかよりは全然、レベルが上でしょう。投手でもかなりやるんじゃないかと思いますよ。でも注意してほしいのはやっぱりコンディション。投手の練習に数年間のブランクがあったということを忘れずにやっていけばいいのでは。経験からそう思います」

マジシャン仰木の手腕で投手転向し、それが現在にもつながっている元「二刀流」は若い根尾選手の今後に注目し、成功を祈っています。【編集委員・高原寿夫】

97年4月18日、日本ハム戦でプロ初登板に臨む
オリックス時代の嘉勢敏弘氏
97年4月18日、日本ハム戦でプロ初登板に臨む オリックス時代の嘉勢敏弘氏
5月29日、オリックス対中日 8回に登板した中日根尾
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