早実・清宮幸太郎内野手(1年)が、ひと夏で大きく変わった。初めて接したのは6月末。バットを担ぎ、のっしのっしと歩いて打席へ向かった。打てば簡単に柵越えを連発。初対面の取材でもハキハキと丁寧な言葉遣いで受け答えする16歳に「これは大物だ」と、いろいろな意味で感じた。

 同時に不安が生まれた。練習用具の準備や片付けもマイペースで、グラウンドに出るのは最後。一塁での守備練習では、後方でボールを集める上級生を見ずにグラブトスで渡すこともあった。早実では「のびのびプレーさせよう」という環境がつくられていた。「みんなで楽しもう」という雰囲気が、甲子園4強という結果につながった。

 U18W杯で、嫌な予感は的中した。明らかに浮いていた。開幕ブラジル戦では、満塁の3ボールから気のないスイングで空振り。翌日の米国戦は味方の盗塁死で打席が終わり、不満そうな態度を見せた。先輩たちにも思うところはあった。「ちゃんとやれ!」と声が飛び、ある選手は「うちの学校だったら上級生が許さないですよ」と漏らした。

 不穏な空気が漂い始めていた8月31日のチェコ戦で、左膝の違和感を訴えて途中交代した。治療もあったとはいえ、30分以上ロッカー室に閉じこもって出てこなかった。その姿勢に、仲井宗基コーチ(45=八戸学院光星)が一喝した。「世界一になりたいなら、個人の結果よりチームのことを考えろ」。翌1日朝には西谷浩一監督(45=大阪桐蔭)と面談。プレー面以外の指導を受けた。「試合に出なくても貢献する方法はある」とメキシコ戦は初めて先発を外れた。

 キャッチボールひとつを見ても、明らかに変わった。西東京大会前に右肩を痛めた影響があったとはいえ、早実では山なりのボールを放るだけだった。現在は常にしっかりと腕を振り、相手の胸元に力強い球を投げるようになった。バット引きや声出しなど、ベンチでの行動も評価されるようになり、打撃の調子も取り戻した。4日の韓国戦では「頑張って走りました」と全力疾走して内野安打。今までで一番、速かった。

 発言も少しずつ変わった。「一から(自分を)見つめ直す」「個人の結果を考えすぎていた」「20人で戦っている。外れたらチームじゃなくなってしまう」。心の成長を感じた。

 将来への期待を込めて“教育”され、4番で使われ続けた。重圧もあっただろう。指の負傷で1度は断念したが、春先には三塁に挑戦するなど選手としての幅を広げようとしている。異なる環境で積んだ貴重な経験は、怪物・清宮幸太郎をさらに進化させるに違いない。【鹿野雄太】