平成最初と最後のセンバツ優勝へ、東邦に“吉兆”を思わせる得点があった。

3-2の8回裏無死一塁、2番杉浦勇介内野手(3年)のバントが本塁前で小飛球に。明石商の水上桂捕手(3年)は併殺狙いで故意に落球したが、一塁に悪送球。カバーの清水良二塁手(3年)は二封を狙ったが、今度はワンバウンドの送球がイレギュラーして高く跳ね、河野光輝遊撃手(3年)も捕れず、球が外野を転々とする間に、一塁走者の松井涼太(3年)が一気に本塁に生還した。記録上は犠打と2失策(捕手、二塁手)で、貴重な4点目が転がり込んだ。

東邦は平成元年(89年)の61回大会決勝・上宮戦でも似たような得点、それもサヨナラ決勝点をものにしている。1-2の10回裏2死一、二塁で3番原が同点中前打。その時、一塁走者の高木が二塁をオーバーランし、二、三塁間に挟まれた。ところが、上宮三塁手の送球を二塁手が取れず、カバーした右翼手も後逸。球が外野を転々とする間に、高木がサヨナラのホームを踏んだ。

当時はコーチだった東邦の森田泰弘監督(59)は「8回は、思わず平成元年のホームインの瞬間を思い出しました。ラッキーでしたね」と話していた。