芦屋(兵庫)のユニホームは1946年(昭21)夏の甲子園初出場時からストッキングを除いてほぼ変わっていない。武庫荘総合に敗れたが、中井駿主将(3年)は「伝統校ということは選手の誰もが知っている。伝統の重みあるユニホームで試合ができて光栄です」と胸元を見つめた。

52年夏には初優勝した伝統校も、翌53年を最後に夏の甲子園から遠ざかる。中井が主将になって目指した「自ら考えてプレーをする」野球を後輩に託し、また戦いが始まる。