ノーシードの誉(ほまれ)が、全国最多188チームの愛知大会を制し、春夏通じて初の甲子園出場を決めた。小牧市の高校からも初となった。

初回2死一、三塁から5番林山侑樹捕手(3年)の左越えの適時二塁打。2回戦から7試合連続打点となる主将の先制打で流れをつかんだ。その後も中盤に4点の中押し、終盤に3点のダメ押しと効果的に点を重ねた。投げては先発の技巧派左腕杉本恭一(3年)が6回4安打1失点の好投。7回からはエース右腕山口伶生(れお、3年)につなぎ、今大会8戦で6度目となる必勝リレーで逃げ切った。矢幡真也監督(46)は初優勝に「信じられない。野球の神様っているんだなと。勝ち上がっていくごとに付けた力は本物だった」と、選手たちをたたえた。

激戦区愛知において、大物食いを続けてきた。4回戦で愛工大名電、準決勝で中京大中京と「私学4強」の2校を撃破。同4強の1校で今春センバツ王者の東邦を破った星城も準々決勝で下しており、まさしく実力で勝ち上がった。18年の春季大会では強豪を退けて優勝を果たしたが昨秋、今春は主力メンバーの故障で思うような結果は出ず。それでも、昨春の優勝メンバーが4人残るチームに故障していた杉本らが戻り、夏の快進撃につながった。

「甲子園10年計画」が実を結んだ。07年、野球部強化を目的に矢幡監督が就任。県外から有力選手を呼び込むのではなく、県内のクラブチームなどを周って、選手の情報を集めた。12年、15年には夏の最高成績となる8強。次第にチーム名も口コミなどで広まっていった。今年のチームもほとんどの選手が県内出身。地道な活動で、チーム力の底上げを図ってきた。

矢幡監督は普段から選手のサポートに徹してきた。取得した「スポーツフードスペシャリスト」の資格を生かし、半年ほど前から毎日、朝練する選手のために豚汁を作り続けてきた。決勝当日も午前4時起きで勝負飯を準備し、選手たちはペロリと平らげた。さらには、過密日程で全8試合を戦う今大会において「選手の体重を落とすことをしないように」と心がけた。メジャーリーガーも愛用する、ベンチプレスを上げる際のスピードを測る最新機器を導入し、瞬発的なウエートトレーニングを大会期間中も取り入れた。「筋肉が落ちればパフォーマンスも落ちる」と、筋力の維持でコンディションを整えた。 験も担いだ。大会前に天から下りてきたという「気合」の言葉から「気」の文字を、初戦からベンチのホワイトボードに書かせた。3回戦からは「デザインが得意なので」と菊野塁椰(3年)を「気」担当に指名。菊野は「気持ちを込めて、しっかりチーム一丸となって戦うという気持ちです」と、決勝まで毎試合ごとにペンを持った。ホワイトボードがない球場にはチームのボードを持ち込んだ。「忘れると嫌だから」と、普段は験担ぎをしない矢幡監督も愛工大名電を破った4回戦から意識するように。最初は軽はずみだったという「気」の験担ぎも優勝をもたらし、改めて効果を実感。菊野には「甲子園でも書こう」と試合後に声をかけた。

09年に「尾関学園」から現在の「誉」に校名が改称された。学校として第2のスタートを切るという意味で制服なども一新された。校名には、生徒1人1人の大きな力が集まって、誉れとなるようにという意味などが込められた。その1つには「地域の誉れとなるように」という意味も込められていた。学校のある小牧市から、初の甲子園出場。甲子園でも「誉」の名を全国にとどろかせる。【奥田隼人】