初の夏4強を狙った沖縄尚学が慶応(神奈川)に2-7で逆転負けを喫し、準々決勝で姿を消した。

空中分解寸前からはい上がり、9年ぶりの夏8強にたどり着いた。主将の佐野春斗内野手(3年)は「本当に苦しかった。何をしてもだめな状況でうまくいかなかった。思い返したくもない」。そう振り返るのが今年4月。今春のセンバツ出場による、一種の達成感がチームには充満していた。

練習にも身が入らない。練習試合もことごとく負け続ける日々。比嘉公也監督(42)は「粘りもなく簡単に負けていた。言葉は悪いですけど、こいつら『野球をなめている』と思った」。佐野主将も「どこまで落ちるんだろうと思った」。まさにどん底まで沈んだ。

一から再出発するしかなかった。立ち直るきっけになったのが、毎年恒例で5月のゴールデンウイークに沖縄・国頭村で行う「国頭キャンプ」と呼ばれる合宿だった。4泊5日で自宅生も含め、1年生から3年生まで選手全員が参加。1日みっちり練習に励み、寝食もともにする。

佐野主将は「ばらばらのチームが国頭キャンプで1つになれたと思う。選手1人1人に協調性が出てきて、『このままだったら夏、絶対に甲子園行けないぞ! 勝てないぞ!』って言い合って、もう1回、あの舞台(甲子園)で戦うために何が必要かを考えなおし、やり直すことができた」と言う。

「勝ち切れる自信しかなかった」と佐野主将。最後の夏を前にして、ばらばらだったチームは完全に仕上がった。最速147キロ右腕、東恩納蒼投手(3年)を軸に沖縄大会を2年ぶりに制し、甲子園では2勝を手にした。

比嘉監督は「佐野(主将)が心を鬼にしながら引っ張ってくれた。負担も大きかったと思うんですけど、よく頑張ってくれたと思います」とたたえた。

佐野主将は「全員で勝つために必死に戦えた。最高のチームで最高の舞台で終われた。自分についてきてくれて感謝していますし、仲間には『ありがとう』と伝えたいです」と目に涙はなく、晴れ晴れとした表情で高校最後の甲子園を後にした。