日米通算4367安打のイチロー氏(50=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が16、17日の両日、沖縄・宮古島の宮古高校で硬式野球部員に指導を行った。

同氏の野球部訪問は20年の智弁和歌山から始まり、通算8校目。今年は11月の旭川東(北海道)に続いて2校目。

初めての九州地区、沖縄の中から、宮古島を選んだのは自然といえる。人口約5万5000人の島は、イチロー氏にとってはオリックス時代からの特別な場所だ。

現在、島には宮古、宮古工、宮古総合実の3校があり、それぞれ野球部が活動中。沖縄本島に劣らず野球熱は高いが、同島からの甲子園出場はなく、島民の悲願になっている。当時のオリックス関係者はその思いを知っている。

部員から指導を求める手紙が届き、島の関係者からもオファーがあった。「島全体の思いに応え、未来の礎となるきっかけを残せたら」と意図を打ち明け、選手には直接「離島から甲子園、という悲願があると思う。僕はみんなが生まれる前から宮古島で毎年オリックスでキャンプをしていて、2006年のWBCの時も宮古島でキャンプをして。それ以来なんだけど、結構縁起はいいと思う」「みんなが知らないところで宮古高校の結果をずっと見てたんだよ」と明かした。

同校部員は今回の来訪が決まると、ミーティングを重ね、2週間前から準備を進めたという。今春の県大会で準優勝、今夏はベスト4と甲子園が手の届く場所にある。イチロー氏も今回の指導で「みんなが思っているより、だいぶレベルが高いよ」と励ました。

宮古島ではオリックスが93~14年まで(2軍は15年まで)22年間、春季キャンプを行っていた。91年ドラフト4位でオリックス入りした同氏はプロ2年目から汗を流した。

94年にイチロー氏が大ブレーク、95年からはパ・リーグ連覇でオリックスフィーバーに沸き、島内初のコンビニもできた。

01年からマリナーズに移籍したが、恩師の仰木彬監督が復帰した05年に春季キャンプを訪問。06年はWBCへの調整を兼ねて再訪し、オリックスの紅白戦にも参加した。

◆宮古(みやこ) 1928年(昭3)創立の県立高。宮古島で唯一の全日制普通高校。生徒数707人(女子388人)。部員20人(うちマネジャー3人)。松原芳和校長。