智弁和歌山は、惜しくも31年ぶりの紫紺の大旗に手が届かなかった。
平成27勝は全国トップ。令和に入っても21年夏に優勝、そして今回の準優勝と強さを保っている。ただ、その中身は平成とは少しずつ変化している。
78年、和歌山県に誘致される形で学校創立。当時の理事長は県から「勉強にもスポーツにも力を入れてほしい。できれば地元の子たちで」と依頼された。
80年から監督を務めた高嶋仁さん(78)はその約束を守って、和歌山の生徒を中心に全国的強豪を作り上げた。毎年のように「智弁和歌山で野球をやりたい」と全国から入学希望があったが、断らざるを得なかった。
1学年10人という極端な少数精鋭は革新的だった。10人のうち8人は和歌山出身、2人は関西他県という基本の割合。素質を見込んだ地元の選手を、猛練習で鍛え上げる方法は成功した。全国制覇も果たし、屈指の強豪校となった。
ただ、少子化の波は和歌山ももろに直撃した。
甲子園で勝ち続けるには、方向転換せざるを得なかった。その1つが県外生に門戸を広げること。合宿所を設け、少しずつ関東などからも選手を受け入れ始めた。
学校法人の藤田清司理事長(71)は「それでも、半分くらいは和歌山の子でやってほしいという希望は言っています」と話す。近年は1学年12~13人で推移。今大会時点の部員25人のうち、和歌山は10人。関西圏が9人、それ以外が6人となっている。
野球少年だった同理事長は、野球部員を目にかけている。甲子園では3連続で初戦敗退が続いていた。1月、センバツ出場が決まると熱っぽく語りかけた。「今年は春夏連覇してください。去年の夏、甲子園で悔しい思いをしたでしょう? そのための夏だったんだと、勝利の女神がそう言っているんですよ」。グラウンドと学校の垣根は低い。選手個人にも折を見て話しかける。大会中にアドバイスも送ってきた。
選手の出身地は多様化しても、創立当初の理念は息づく。学校のサポート、中谷監督の指導、そして高嶋監督が育んできた伝統がバランスよく絡み合う智弁和歌山は、まだまだ高校球界の「雄」たりえる存在だと再認識した。【柏原誠】

