<高校野球岩手大会:花巻東5-0盛岡三>◇24日◇決勝

 花巻東が盛岡三を下し、2年ぶり6度目の夏の甲子園出場を決めた。最速151キロ右腕の大谷翔平(2年)が負傷で登板回避したが、津波で親族を亡くした沿岸部出身の選手が奮闘。東日本大震災直後、部員の家族の安否確認で被災地を走り回った佐々木洋監督(35)は「被災した生徒が一番強かった」と涙ぐんだ。

 佐々木監督の目頭が熱くなった。震災後、最も明るくなった選手の顔を見て、こみ上げる感情を抑えられない。「支えなければと思っていた、被災した部員たちが、一番強かった」。

 沿岸部出身の部員10人中6人が津波で自宅を流失した。4カ月半前を思えば、出場すら奇跡だった。3月13日。佐々木監督は津波被害の生々しい現場にいた。部員の親の安否を確認するため、自分の家族に「学校に行く」とうそをつき、佐々木隆貴捕手(2年)と彼の出身地の大槌町に向かった。警察の閉鎖ポイントで車を乗り捨て、1時間以上走った。停電のトンネルを2つ抜けると「写真で見る戦争の世界が広がっていた」。煙が立ち込める街を駆け回り、避難者のネットワークで無事を確認できた。

 そのまま南下し、佐々木毅投手(2年)らと釜石を目指した。また真っ暗なトンネルを走り抜けると「逃げろ!」と怒号が飛び交っていた。余震の津波警報で混乱する中、やっとの思いで母と妹を見つけた。「預かった大事な部員」のため無心だった。

 実家が全壊し、祖父母を亡くした佐々木隆は、エース大谷を欠く投手陣を全6戦でリード。6回には中前適時打を放った。震災直後は「部活を辞める」と決意したが、母親や、大谷ら同級生だけのミーティングで「できることは野球」と説得された。歓喜に沸く応援席を見渡すと「続けて良かった」と思えた。

 祖父を亡くした佐々木毅は、準決勝の9回表に失点するまで20イニング連続無失点で貢献。今日25日の祖父の葬儀に花を手向けた。2人を筆頭に、沿岸部の生徒は、たくましかった。

 寮が閉鎖された3月。内陸部の部員の実家が、沿岸部の部員を預かり、一体感が増した。震災被害の激しかった東北3県で、最初の代表になった佐々木監督は「甲子園には、花巻東ではなく、岩手として出る。岩手県の底力を見せたい」。恒例の胴上げをやめて、力強く宣言した。【木下淳】

 ◆花巻東

 1956年(昭31)創立の花巻商と57年創立の谷村学院が82年に統合した私立校。生徒数643人(女子242人)。野球部は56年創部、部員95人。甲子園は春1度、夏6度目。主なOBに西武菊池雄星。所在地は花巻市松園町55の1。小田島順造校長。

 ◆Vへの足跡◆

 

 

 2回戦8-0宮古水産3回戦7-0福岡4回戦5-4久慈東準々決勝6-2大船渡準決勝4-3盛岡四決勝5-0盛岡三