<高校野球青森大会:光星学院9-1野辺地西>◇26日◇決勝

 光星学院が系列校の野辺地西を下し、8年ぶり5度目の夏の甲子園切符をつかんだ。打線が2本塁打を含む15安打9点。エース秋田教良(3年)が7安打10三振1失点に抑え完勝した。東日本大震災で地元八戸が被災、ナインは動揺したが、それを乗り越えて成長。97年に続いて2度目の春夏連続甲子園を決めた。

 光星学院が実力を見せつけた。3回表無死一、二塁から2者連続アーチ。3番川上竜平主将(3年=中堅手)が3ラン、4番田村龍弘三塁手(2年)が続いた。守備はこの日もミスはなく、大会6試合を通じて無失策と秋田をもり立てた。

 「やった!」。優勝の瞬間、秋田を中心にナインが人さし指を突き上げ、ひとかたまりになった。「力はある。それをいかに発揮させるかを訓練してきた」と仲井宗基監督(41)。昨春退任した金沢成奉前監督(44=現総監督)の時代から、全国制覇を狙えるチームづくりを進めた現チームが、春夏連続の挑戦権を得た。

 2011年という年の春から夏。光星学院にとっても苦しい道のりだった。3月11日、キャンプ地沖縄から帰る飛行機に搭乗中、東日本大震災が発生。いったん沖縄へ引き返し、大阪に移動してそのままセンバツを迎えた。学校のある八戸も津波などで大きな被害を受けた。

 「こんな時に野球をしていていいのか」。仲井監督は悩んだ。センバツでは初勝利を飾り、2回戦で智弁和歌山に惜敗。ナインは4月1日、八戸に26日ぶりに帰ると、3日には避難所を回り、大阪から運んだ救援物資を届けた。何かをせずにはいられなかった。

 心が揺れ動くまま臨んだ春季県大会では、準々決勝で八戸に敗退。「私自身、野球をなめていた。あれで吹っ切れた。野球ができることへの感謝は持ちつつ、野球に打ち込み、勝負に徹することが大事と気づいた」(仲井監督)。川上は「野球を楽しんでできない時期があった。でも自分たちにできるのは、野球を通して勇気や感動を与えることだとわかった」と言う。

 吹っ切れた光星学院に怖いものはなかった。相手が青森山田でも、猛反撃されても動じなかった。同系列の兄弟校・野辺地西でも意識することはなかった。次の目標は00年夏、先輩たちが達成したベスト4を超えること。「青森県の代表として、被災地の人たちに勇気を与えるような、はつらつとした野球で勝ち進みたい」。仲井監督は力強く宣言した。【北村宏平】

 ◆巨人坂本(光星学院OB)「(準々決勝で)青森山田に勝った時点で、行けるかなと思っていました。甲子園でも頑張ってほしいです」

 ◆光星学院

 1956年(昭31)創立の私立校。生徒数は979人(女子501人)。野球部は学校創立と同時に創部、部員数は54人。甲子園は春5度、夏も5度目の出場。OBに巨人坂本勇人ら。所在地は青森県八戸市湊高台6の14の5。法官新一校長。

 ◆Vへの足跡◆2回戦10-0五戸3回戦8-1大湊4回戦13-0浪岡準々決勝15-10青森山田準決勝10-0木造決勝9-1野辺地西