<高校野球愛知大会:至学館4-3愛工大名電>◇30日◇決勝

 ミラクル軍団が初の甲子園切符!

 愛知大会は、創部6年目の至学館が、日本一の激戦区愛知188校の頂点に立ち、春夏通じて初の甲子園出場を決めた。4回戦は逆転サヨナラ、準々決勝は延長14回サヨナラ。初の決勝も愛工大名電に先制されながら、4回に手崎椋介外野手(2年)が右越えに逆転2ラン。今年の2月に交通事故で亡くなった先輩・桐林史樹さん(享年18)にささげる「聖地への切符」となった。

 がけっぷちまで追い詰められた先に歓喜の瞬間が待っていた。9回裏2死満塁。至学館のリードはわずか1点だ。一打サヨナラの大ピンチ。だが、見えない力が味方した。二塁手の岡大樹主将(3年)へのゴロが飛ぶ。宝物を渡すように両手で遊撃手にトスしゲームセット。その瞬間、ナイン、ベンチから飛び出した選手、スタンドが歓喜の渦に包まれた。

 「桐林先輩、甲子園に行きます」

 誰もがそう叫んでいた。今年の2月、昨年までのエース、桐林史樹さんが東名高速道路での多重事故に巻き込まれ18歳で亡くなった。昨夏の大会が終了した後も先輩は常にナインの練習の指導をしてくれるなど、いつも新チームのそばにいてくれた。今大会でもピンチになるといつも空を仰いだ。

 4回表に逆転2ランを放った手崎椋介外野手(2年)は、打席に向かう前にベンチにある遺影に語りかけていた。「打った瞬間、鳥肌が立ちました」。ナインを遠目に見ながら麻王(あさお)義之監督(47)は「夢のようです。子どもたちの粘り強さとあきらめない気持ちに感動しています。ハンディがある中で本当に頑張った」と号泣した。

 前身は女子校。05年に男女共学となり、翌年に野球部が創部された。グラウンド使用は女子ソフトボール部などが優先され、選手たちは隅っこでキャッチボールやバドミントンのシャトルを打つ打撃練習を繰り返してきた。

 効率的な練習で基本を徹底して鍛えた。1点リードの4回2死二塁、本塁へダイレクト返球で走者をアウトにした森鷹也外野手(3年)のプレーはその結晶。豪雨で1時間半近く中断した際も選手は座禅を組んで集中を切らさなかった。

 環境が整っていなくてもも野球が好きという思いはどこにも負けない。サヨナラ勝ち、逆転で戦国愛知を制したミラクル軍団が、甲子園でも旋風を巻き起こす。【坂祐三】

 ◆至学館

 1905年(明38)に中京裁縫女学校として創立の私立校。05年(平17)に男女共学となり中京女子大付から校名変更。生徒数は1289人(うち女子は781人)。野球部は06年創部で部員は98人。名古屋市東区大幸南2の1の10。松本吉男校長。

 ◆Vへの足跡◆3回戦10-7同朋4回戦10-9愛知産大工5回戦4-0小牧準々決勝2-1菊華準決勝10-7豊川決勝4-3愛工大名電