<高校野球兵庫大会:東洋大姫路6-0加古川北>◇30日◇決勝

 鉄腕ジュリが東洋大姫路を5年ぶり12度目の夏の甲子園へ導いた。兵庫大会初の決勝再試合となった加古川北戦。前日29日に15回196球を投げたエース原樹理(3年)は志願の先発で2安打に抑え、完封で2日がかりの死闘を制した。7連続の智弁和歌山、春夏通じて初の甲子園出場を決めた至学館(愛知)など7地区の代表が決定した。大阪は今日31日に準決勝が行われる。

 視線がかすんだ。体はフワリとした。憧れの聖地に手をかけ、原は不思議な感覚に襲われた。大会通算745球目。最後は138キロ直球で三振を奪い、飛び跳ねるような投球フォームのまま1回転した。センター方向へ両手を高々と挙げる。歓喜の輪の中心で涙にぬれ、何かを絶叫した。

 原

 実感がなくて、舞い上がってます。最後は自分の体の感覚がなかったというか、どこにいるかも分かりませんでした。いよいよ甲子園という気持ちと、疲れがピークで。

 「剛」から「柔」へ変えた。前日は196球完投。さらに右手首の腱鞘(けんしょう)炎を起こしていた。夜は姫路市内の病院で点滴したが、緊張感は残ったまま「地面に倒れそうだった」。それでも気力十分に「腕が折れても投げさせてください」と先発を直訴。投球は相手エース井上に学んだ。「昨日、僕は力、向こうは頭を使って軽く投げていた。8割くらいで投げようと思った」。最速147キロ右腕が5奪三振。丁寧に低めをつき、センバツで金沢・釜田や波佐見・松田の速球派を攻略した加古川北に、三塁を踏ませなかった。

 1年秋にも15回を投げたことがある。反動は大きく、その後は右肘痛で半年間投げられなくなった。母美幸さん(49)は「何度も学校を辞める、と言ってました」と明かす。しかし加古川北など地元の高校ではなく、名門を選んだのは自分の意志。自暴自棄になりかけたが、立ち直った。

 試合後は、毎晩マッサージをしてくれた美幸さんを呼んだ。記念撮影した母は「オカンは球場で寄ってこないで、というのに、あの子なりの優しさでしょうか…」と声を詰まらせた。2日がかり24イニングかけてつかんだ甲子園切符。原は「まだ通過点。甲子園に行くためじゃなく、勝つために練習してきましたから」と全国制覇に目を向けた。【近間康隆】

 ◆東洋大姫路

 1963年(昭38)創立の私立校。生徒数1103人(うち女子260人)。野球部創部は創立と同時。部員は95人。甲子園は春7度、夏は12度目で77年に全国制覇。元マリナーズ長谷川滋利氏、オリックス弓岡敬二郎コーチら。姫路市書写1699。加藤文則校長。

 ◆Vへの足跡◆

 

 

 2回戦6―1宝塚北3回戦9―2網干4回戦4―0兵庫商5回戦5―2星陵準々決勝3―0明石商準決勝13―1川西緑台決勝2―2加古川北決勝6―0加古川北※決勝は延長15回引き分け再試合