<全国高校野球選手権:日大三11-0光星学院>◇20日◇決勝

 胸を張って、東北に帰ってこい!

 光星学院(青森)が春夏通じて10度目の出場で、初の準優勝に輝いた。全国4014校の頂点を決める戦いで日大三(西東京)に敗戦。みちのく悲願の初優勝には届かなかったが、県勢では69年の三沢以来42年ぶり2度目の銀メダルを獲得した。持ち前の「打ち勝つ野球」で聖地を沸かせ、東日本大震災に襲われた東北地方に明るいニュースを届けた。

 またしても、深紅の大優勝旗に届かなかった。光星学院初、東北勢にとって春夏通算8度目の決勝。ともに「強打」が売りの日大三に真っ向勝負を挑んだが、ねじ伏せられた。現チームになって初の完封負け(5安打)。守備も11失点と投打に圧倒され、仲井宗基監督(41)は「完敗です。全国に通用する打撃を目指してきましたが、上には上がいる。どんな練習してるのか知りたい」と脱帽した。

 3回裏2死一、三塁。衝撃が走った。準決勝までわずか1失点のエース秋田教良(3年)が投じた初球。真ん中に入った武器のスライダーを、5番高山にバックスクリーンへ低弾道で運ばれた。川上竜平主将(3年)が「今まで見たことのない打球が頭の上を飛んでいった」と言えば、秋田も「甘い球はすべて持っていかれた」。三塁を守った田村龍弘(2年)が「高校生の打球の速さじゃない」と恐れるほどの完敗だった。

 それでも、胸を張れる準優勝だ。今大会5戦中3戦で2ケタ安打をマークし、準々決勝で東洋大姫路(兵庫)の大会注目右腕、原樹理(3年)に競り勝った。青森県勢42年ぶりの決勝進出は、親元を離れて八戸で生きる男たちが、遂げた。

 大会を通して活躍した4番田村。天理(奈良)や大阪桐蔭の誘いを断り、雪国へ来た。入部して2カ月。1年春からレギュラーになった重圧と、野球漬けの寮生活に「辞めたいです」と仲井監督の前で泣いた。朝6時に大阪の母多津代さん(41)の電話を鳴らし、5時間ぶっ通しで悩みを打ち明けた。かつて兵庫出身の巨人坂本も一時帰宅したことがあった。それでも田村は「逃げたら終わる」と踏みとどまって、成長した。

 県外出身者が多いことに賛否両論あるが、仲井監督は「気にしたことないんだよ」と話す。実際、氷点下10度の銀世界で練習し、雪をかいて春を待つ。15歳で親と離れ、ほかの地元球児と同じ、もしくはそれ以上の濃密な生活を八戸で送っている自負があるからだ。

 ムードメーカーの前原玄稀(3年)は、部活を辞めようと一時大阪に帰ったことがある。1週間後。思い直して八戸に戻り、タクシーに乗ると、運転手から「よく戻ってきた。心配してたよ」と声をかけられた。部員の顔から、退部のうわさまで知られるほど、地元に応援される現実もある。

 震災後、津波に襲われた園庭を整備した保育園から千羽鶴も届いた。川上は胸を張る。「野球していいか迷った春(センバツ)も応援してもらった。優勝できなくて残念だけど、夏に恩を返し、思いを伝えることはできたと思います」。光星学院ナインが、東北に光をともす星になった。【木下淳】