日本ハム元オーナーの大社啓二氏(63)が、伝統球団にとって激動の時代となった平成を振り返ります。まずは、2004年(平16)に本拠地を東京から北海道へと移転した経緯について。当時の経営状況や、日本ハム創業者である初代オーナー大社義規氏の深い野球愛も踏まえ、複数の候補地から北海道を選んでいく背景について語りました。

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オーナーが語る日本ハム“都市伝説”

<取材後記>

「これは、都市伝説のような話なんだけども…」。日本ハム2代目のオーナー大社啓二氏(63)は、どこか誇らしげに昔話を切り出した。

「平成の日本ハム」を振り返ってもらう連載企画の取材を受けていただいた。東京から北海道への本拠地移転の話。初代オーナー大社義規氏についての話。球界再編問題についてなど。球団の取締役会長、オーナー、オーナー代行と要職を務めてきた時代に起きた出来事を、軽妙な語り口で振り返ってもらった。

興味深い話の連続だったが、冒頭のコメントに続く話も思わず吹き出してしまった。日本ハムが日本球界で初めて沖縄で春季キャンプを行うようになった1980年(昭55)前後の、ウソかホントかわからない「昭和の日本ハム」の話だ。

「これも諸説あるんだけど、最初、日本ハムは徳島が創業の地だからと言って鳴門でキャンプをやったけど、もうめちゃくちゃ寒くて話にならなかったんです。次は千葉の鴨川に行ったけど、やっぱり寒かったので、誘いもあった沖縄の名護に行くことになりました。最初はピッチャーだけでキャンプを張って、けっこう良かったので次はチーム全体で行くことになりました。ただ、当時は対戦相手がいなかった。そこで、米軍基地の野球チームと試合をするしかないとなって、試合をしたそうです。そしたら、相手に元3Aみたいなピッチャーがいたという(笑い)。しかもヒットも打てないくらいの、いいピッチャーで。これは、えらいこっちゃだと言っていたら、さすがに相手もバテたようで9回にようやく打ち崩して勝ったらしい、という話です。要するに、それくらい対戦相手がいなかったんです」。

今季は9球団が春季キャンプを張る沖縄だが、当時は球界に前例がなかった。対戦相手がいない不安にも屈しなかった。結果的に、勇気ある決断がプロ野球の未来図を変えた、と言っても過言ではないと思う。

「ウチのすごいところは、いいと思ったら、とにかく徹底的にやるところです」

大社氏は誰かに伝え聞いた伝説的な話を楽しそうに、でも誇らしく振り返っていた。激動の平成時代を乗り越え、北海道を拠点に常勝球団、そして人気球団へ変貌した裏側には、常識にとらわれない先進的なスタイルがベースにあった。時代が平成に変わっても、変わらない。新元号に変わっても、きっと変わらないだろう。

対戦相手を必死に探した約40年前と同じような情熱が、日本ハムには脈々と受け継がれていると感じた。【木下大輔】

インタビューで語る元日本ハムオーナーの日本ハム大社啓二専務(撮影・林敏行)
インタビューで語る元日本ハムオーナーの日本ハム大社啓二専務(撮影・林敏行)

◆大社啓二(おおこそ・ひろじ)1956年(昭31)1月7日、香川県高松市生まれ。中大法学部を卒業後、80年に日本ハム入社。96年に40歳で社長就任。02年8月、子会社の不祥事が発覚し、社長を引責辞任した。現在は取締役専務として海外事業本部長を務める。球団では05年6月にオーナー就任。12年3月からオーナー代行となり、16年3月からは非常勤の取締役に就任した。