「やっとかめだねぇ」

訃報を聞いて、高木さんののんびりした声を思い出した。

野球記者として駆け出しのころ、担当したのは中日だった。92年から94年シーズンの3年間。ある意味、激動の3年だった。プロ野球史上ただ1人、3冠王を3度獲得した落合博満氏(野球評論家)もいた。同氏のFA宣言があり、94年には10・8決戦もあった。決戦を迎える裏では、高木監督の退任問題も浮上していた。高木さんの自宅前で取材して、愛車に乗せてもらってナゴヤ球場に通った。新米記者は高木さんの本音を聞き出すことができず、悔しい思いもしたが、今となっては懐かしい思い出だ。

そんな3年を終えたあと、高木“監督”と再会することがあった。東海地方では「お久し振り」の意味のある「やっとかめ」。もうその声を聞くことはない。懐かしいイントネーションが、今も頭の中で響いている。【94年中日担当 伊東大介】