ロッテが78年から91年まで本拠としていた「川崎球場」跡地にある「富士通スタジアム川崎」事務所内に、村田兆治さんを悼む献花台が設置され、12日には500人を超えるファンらが訪れた。

発案者の田中育郎支配人(54)は川崎市出身で、大洋(現DeNA)の本拠として使用していたころから川崎球場を見続けてきた。過去には村田さんが同地での毎年恒例イベントにゲスト参加してくれたこともある。「村田さんが来てくれた時は一番盛り上がった。私も事務所にあるギャラリーを案内した時のことを覚えていないくらい緊張しました。女性スタッフにフォークの握りを教えてくれるなど、本当に優しい方でした」。

その数年前、村田さんが「替わり果てた川崎球場を見たくないから」と、ゴルフ雑誌の取材で同地を訪れることを拒んだ際に「照明灯とフェンスは当時のままで残っているんです」と説得したのも田中支配人だった。1954年(昭29)から現在も使用されている照明灯2基は来年1月10日に、残念ながら撤去されることが決定。同7日にはサヨナラ企画が予定されており「実は村田さんに来ていただきたいと思ってお願いしようと思っていたところなんです」とかなわなかった。

千葉市在住の40代男性ロッテファンは「小学生のころに印象に残ったダイナミックな投手」と川崎球場で村田さんが活躍していた時代のユニホーム姿で手を合わせ、「村田さんの心意気を今のマリーンズの選手にも引き継いでほしい。頑固な人もいたほうが…」と期待を寄せた。【鎌田直秀】