全国版で随時掲載中の「番記者プロデュース」が、北海道版で日本ハム小村勝球団社長(59)が思いをつづる「コムラノコラム」とコラボ。特別版としてお届けする。くも膜下出血で倒れ、死地をさまよいながら現場復帰して18日で1年。あの日もチームは、敵地福岡でソフトバンクと戦っていた。現在2位のチームは同社長の復帰記念日に、今年も首位ソフトバンクとの直接対決に挑む。1年前、新庄剛志監督(53)らチーム全員からサプライズで迎えられ号泣した“奇跡の社長”が、福岡での感動シーンを振り返る。
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「今日は負けられない」。昨年僕が復帰した時と同じ言葉を、今年6月10日の移転後1500勝の際に新庄監督がコメントしてくれました。理由は1年前に僕がクモ膜下出血で倒れた日なので…と。その秋に職場へ戻った際の「後遺症は涙もろくなった」や「幽霊やないよ」などの記事を覚えてくれている方が、沢山いることを知りました。
1年前に何故、その様な言葉が出たかの裏話をしようと思います。
まず「幽霊やないよ」は退院後、初めてみずほペイペイドームの通路で番記者の方にお会いした時に、皆さんは目が点になり、無意識に幽霊を見るような目で見られました。
人は驚くと、瞬きを忘れ目が点になる事を知りました。誰も声をかけてくれないので、こちらから「幽霊やないよ」と。それが記事になりました。
もうひとつの「後遺症は涙もろくなった」は、少し長い説明になります。退院をしてから会社に出社するより先に球団にも言わず、みずほペイペイドームにお伺いしたのは、日本ハム勤務時代から大変お世話になっていた、福岡に本社のある(小売業の)「TRIAL(トライアル)」の永田会長にごあいさつをするためでした。倒れて入院した際にも、かなり御心配をおかけしたので、最終戦でお会い出来るとの事で、退院の報告をしに福岡へ行きました。
チームはCSをかけた大事な時期でしたので、邪魔しないように内緒で福岡へ行きました。ところが、岩本統轄副本部長が福岡に来ている事を聞きつけ、試合前にグラウンドに来て欲しいと話がありました。お断りしましたが、ならば、せめて新庄監督にだけあいさつをと言われ、入院時に何度もお見舞いに来てくれた監督には、あいさつするのが筋だと思い、岩本さんの言う通りに、監督室に行く事になりました。「用意できたら呼びに来ます」と。その後、岩本さんに案内をされて、僕は監督室の扉を開けたと思っていたのですが、そこは監督室ではありませんでした(これが新庄監督がインスタグラムに投稿したシーンです)。
大きな部屋で新庄監督、コーチ、スタッフ、選手の皆さん50人以上の方に迎えて頂きました。新庄監督が大好きなサプライズです。完全にはまりました。その時まで後遺症について聞かれた時は「標準語がしゃべれなくなった」を持ちネタにしていたのですが、新庄監督やチームのサプライズの瞬間は涙があふれて、照れ隠しをするために「後遺症は涙もろくなった」と思わず口から出た映像が、ネットで流れて記事に。との流れです。
その日の試合は伊藤投手の素晴らしいピッチング(2試合連続完封で13勝目)により、勝利(3-0)を収めてくれました。試合後のコメントで新庄監督は「どうしても勝利を」と。伊藤投手は「すごいプレッシャーだった」と。伊藤投手、変なプレッシャーをかけてごめんなさい。
後日、池田投手に「社長、試合前に選手を泣かせたらダメですよ!」とも言われました。チームの皆さんにも本当にご迷惑をおかけしましたが、その際にお願いした「エスコンでCSを見せて下さい!」は、見事に実現して頂きました。ファンの皆さんもチームもスタッフも本当に温かい北海道日本ハムファイターズです。(北海道日本ハムファイターズ球団社長)
◆24年9月18日ソフトバンク戦(みずほペイペイドーム) 小村社長が球場入り後、新庄監督のいる監督室に招かれたと思って出向いた場所は、三塁側ベンチ裏の食堂。ドアを開けると新庄監督やコーチ、スタッフ、選手が勢ぞろいして歓迎した。同社長は号泣。この場面が新庄監督のインスタグラムに投稿された。指揮官は「何としても今日は小村社長のために勝つぞ」と試合に臨み、先発伊藤が2試合連続完封。3-0で勝利した。
◆小村勝(こむら・まさる)66年1月25日、大阪府生まれ。88年日本ハム入社。加工事業本部マーケティング推進部長時に「シャウエッセン手のひら返し」「シャウ断髪」など新販促を実践。22年から北海道日本ハムファイターズ取締役、ファイターズスポーツ&エンターテイメント取締役。エスコンフィールド開業の23年に、北海道日本ハムファイターズ球団社長就任。



