<ロッテ2-8楽天>◇31日◇千葉マリン

 楽天岩隈久志投手(29)が通算100勝を達成した。首位争いを繰り広げるロッテ打線を相手に6回4安打無失点。07年の右ひじ手術を乗り越え、史上9位タイとなる通算205試合目でのスピード記録となった。

 岩隈が直立不動からスタンドに礼をした。「支えてくれたすべての方々に感謝します。ケガから野球に対する考えがいろいろ変わりました。マウンドに上がれることに感謝する。その気持ちを忘れず投げます」。100勝目の言葉だった。

 07年10月、右ひじ手術。透明のケースに入った骨片を岩隈はじっと見た。「体が悲鳴を上げたと分かって欲しかった」。担当医は横浜南共済病院・山田勝久顧問だった。ささくれた患部をつるつるにした。症状は軽くなかった。手術後、プロ野球選手は2つに分かれると名医は言う。「手術前と違う、とプラスにする選手。大丈夫か、と考える選手」。岩隈は前者だった。翌08年、21勝。成功だった。

 まっさらなひじには200イニング突破は重かった。09年。WBC後、腕が振れなくなった。「球数制限した方がいい。医者に言われた、と申し出たらいい」と伝えた。岩隈は穏やかな顔だった。だが、なぜか野村監督は、岩隈の投げるたび「ガラスのエース」とぼやく。6月、ひじ炎症で抹消。また忠告した。岩隈は静かに聞いていた。

 岩隈は野村監督に対し、医師から球数制限を指示されていることを言わず、苦言を受け入れ、13勝した。気高さ。心配させない優しさ。医師は感銘を受け「無理したらだめだよ」と見守ることにした。

 今年は順調にきた。でも心配で顔を見たくなった。先発当日は周囲を寄せ付けず試合に入る。6月5日、横浜戦。ベンチの片隅で待った。「先生、お久しぶりです。お元気ですか」。いい笑顔で手を握りにきた。「君は140キロで抑えられるんだよ」に「分かりました」と返し、いつもの集中に入った。「カモシカみたいにしなやかで、優しい顔をしているのに、岩隈君は強い」。通算100勝。手術後43勝。この3年間に岩隈久志の矜持(きょうじ)がある。【宮下敬至】

 [2010年9月1日8時51分

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