壮絶な人生を、現在進行形で歩む力士がいる。
西三段目筆頭の雷道(いかづちどう、20=雷)は昨年8月10日、想像もしない光景を目の当たりにし、涙が止まらなくなった。
その日から部屋の稽古は1週間休みとなっていた。各力士が帰省を許され、雷道も埼玉・草加市の実家へ。昼ごろに到着すると、玄関の鍵が閉まっていた。母が外出中かと思い、夕方まで時間をつぶして戻ると、鍵は閉まったまま。何度電話してもつながらず、嫌な予感がした。大家に連絡し、必要な手続きを済ませて玄関を開けてもらうと、52歳だった母の山田珠己さんが、亡くなっていた。
警察から、すでに死亡から1カ月程度が経過していると聞かされた。真夏とあって腐敗が進み、骨まで見えていた。そのため死因は不明。「熱中症とかで倒れていたのかも…。泣きました」。家の中でなければ、誰かに助けてもらえたかもしれないと思うと、無念の思いが一段とこみ上げた。
本名は山田ネリー。兄弟はおらず、東京・浅草出身の母に、両親が離婚した小学3年からは、女手一つで育てられた。ナイジェリア人の父は「物心ついた時には、あまり家にいなかった。最後に会ったのは小学3年の時」だという。雷道が小学5年の時に、母は職場の人間関係などから、うつ病と診断され、働くことができなくなった。雷道の祖父母をはじめ、母の親戚は全員早くに亡くなっていた。生活保護の費用を支払われていたが、それ以外に収入はなく「狭いアパートで暮らしていました」と、生活は貧しかった。精神的に弱っていた母は、かつての明るい姿がなくなっていた。
母を少しでも楽させたいと、孝行息子は埼玉・草加市の谷塚中に入学すると、アクション俳優を夢見るようになっていた。「ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画を見て、憧れました」。強い体と、受け身を身に着けるために柔道を始めた。すると、持ち前の身体能力の高さが発揮され、中学3年時に73キロ級で埼玉県個人4強。強豪の東京・修徳高、大森淳司監督の目に留まり、同高への推薦入学を誘われた。
「お金がなくて断ろうとしたのですが、監督が授業料を出してくれて」。雷道は幸い、人との縁に恵まれていた。1人目の恩人のおかげで高校に入学でき、礼儀や感謝の気持ちを何よりも学んだ。現在、部屋の前頭獅司の付け人として献身的に働き、誰に対しても礼儀正しく接する。明るく素直な性格で、親方衆から声をかけられることも多い。歴代最多の優勝45度を誇る宮城野親方(元横綱白鵬)からも、まじめな性格、身体能力の高さに将来性を高く評価されている。「(昨年の)九州場所の時に『頑張れよ』と声をかけていただいて。ありがたい限りです」と、うれしそうに振り返った。
修徳高の大森監督も、宮城野親方も、身体能力の高さにほれた。高校2年時の運動能力検査では、現役力士で推定最速、50メートルを5秒9で走ったこともある。卒業後に「東京俳優・映画&放送専門学校」に入るという、アクション俳優に向けて具体的な将来像も描いていた。そんな高校2年時の終わりに、大森監督から雷部屋への入門を打診された。想像もしていなかった未来だった。ただ、恩人に勧められ「断るなんてできない」と、高校は3年になる直前に中退。そこで2人目の、生涯の恩師と出会うことになった。
22年5月の夏場所、前相撲で初土俵を踏んだ。約2年間は序二段と三段目を行ったり来たり。昨年夏場所、西序二段7枚目で6勝1敗と大きく勝ち越してから、自己最高位を何度も更新した。「関取(獅司)に、ぶつかり稽古で長めに胸を出してもらえるようになってから、番付も上がって力がついてきた実感がある」。先場所は3勝4敗だったが、初めて幕下に昇進。夢の関取昇進に、1歩ずつ近づいてきた実感がある。この日の白星で2勝2敗と五分に戻した。勝ち越せば、来場所の幕下再昇進は確実。「本場所の借りは、本場所でしか返せないので」。残り全勝で自己最高の更新を見据えている。
母が亡くなっていると知ってから1週間、部屋に戻ると2人目の恩人、雷親方(元小結垣添)に言われた言葉に、胸が熱くなった。「今日から、オレがお前の親だ」。雷道は、こみ上げる涙を必死にこらえた。それまで以上に稽古に精進し、なかなか増えなかった体重が、先場所後に初めて100キロを超え、現在は106キロまで成長。「(大森)先生と(雷)親方のためにも、絶対に関取に上がります。それが恩返しですから」。戸籍上は天涯孤独となっても、2人の恩人、部屋の仲間がいる-。雷道の出世物語は、まだ始まったばかりだ。【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)


