プロレスには不思議な力がある。24年間、プロレス界の天国も地獄も見てきた真壁刀義(47)の視点からプロレスの力を見つめなおす。第4回は11年の東日本大震災の時期をたどる。【取材・構成=高場泉穂】
2000年後半から人気低迷に苦しんできた新日本プロレスが、浮上の手応えをつかんだころのことだった。超満員で盛り上がりをみせた仙台大会から18日後の11年3月11日。日本の観測史上最大規模となるマグニチュード9の東日本大震災が起こった。
地震による津波で東北地方太平洋沿岸部は甚大な被害を受け、東京電力福島第一原子力発電所の事故も発生。日本全体が自粛するムードに覆われる中、新日本は2日後の13日静岡大会から興行を再開した。
会場は2500人の超満員となった。セミファイナルの6人タッグ戦に出場した真壁の両親は東北出身。親戚はみな、命は助かったが、いとこは津波で家が流された。真壁は試合後にこんな言葉を残している。
「今よ、いろんなことが言われてる。『こんな日に』とかよ。だけどよ、俺たちプロレスラーの仕事は何だよ? 人に勇気とか、明日の力を与えることだよな」
迷いながらも、今プロレスをやる意味を発信した。ファンの声援が、その思いを確信に変えてくれた。
「プロレスラーには、俺には、何ができるかって迷うじゃん。でも、俺たちだからこそ見せられるもの、立ち上がる勇気を感じ取ってもらいたい、とその時思ったの。俺たちは立ち上がって、またやられて、ぶっとばされる。でも、また立ち上がる。それが彼らの心に響いたんじゃないかな。お客さんの声援が、俺たちの心にも響いたよね。もっと頑張んねえとって、拍車がかかった。いくつか中止になった大会もあったけど、その時期はどこに行ってもお客さんの反応がものすごかった。みんなが不安やストレスをいっぱい抱えてたんじゃないかな」
震災後、初の東北での試合は10月15日岩手県宮古大会。まだ津波の被害が残る街の市場の駐車場に特設リングを作り、青空チャリティープロレスを実施した。リングの周りで声を出して応援してくれる人たちの姿を見ながら、真壁は変化を感じていた。
「それまで新日本は東北地方が特に響かなかったの。静かに集中して見る、というタイプが多いのかと思ってた。だけど、その時は今までの静かな感じはどこに行ったんだってくらい大フィーバーしたの。何でかって、みんな不安を抱えて怖かったと思うんだ。ストレス発散だよね。その後も東北の大会で『踏み出す勇気もらえた』と声をかけてもらったりもした。すごい喜んでくれたんだよね」
震災からの復興の歩みは、プロレス人気の復活とも重なった。プロレスラーたちは試合を通じ人々に勇気を与えようと努め、同時にファンの声援に励まされていた。プロレスは求められているのだ、と。
「応援する方も、されている方も、お互い頑張んなきゃいけない時だった。お互い立ち上がろう、そういう気持ちでやってたと思う。例えば俺たち新日本プロレスが、そん時、今みたいに経営がうまくいっていて業界ナンバーワンだったら、上から言いやがってって思われたかもしれない。でも、あの時はまだまだだった。まだまだの状態で、上がる兆しが見えた時だった。そんな状態で東北の人たちを元気づけながら、元気づけてる自分たちも元気をもらった。よし、がんばろう、って」
その年の8月には武道館で新日本、全日本、ノアのメジャー3団体が32年ぶりに集結したチャリティー興行「ALL TOGETHER」が行われた。会場は1万7000人の超満員札止め。エンディングでは「プロレス最高!」のコールが起こった。
光が見え始めた新日本に、追い風が吹く。12年1月末、カードゲーム事業で成長を続けていた株式会社ブシロードが新たに親会社になった。
布石があった。ブシロードは11年夏に行われた最大級の大会、G1クライマックスでスポンサーとなり、12年年明けには中邑真輔と真壁をCMに起用していた。そのCM撮影時、真壁は控室でブシロード木谷高明オーナーと雑談していた。
「木谷さんさー、新日本プロレスどうやったらもっと売れると思う? って聞いたの。そしたら『これはですねー、僕から言えることは、こうやったらいいと思います』って説明されたのが、ほぼほぼ、俺がそれまで考えていることと同じだったの。『そうだよね、ありがとねー』ってその日は帰ったけど、ああいう人が社長になってくれねえと困るんだよな、なってほしいな、って俺は社員に言ってたんだよね。そしたら、その1週間後にまさかの発表だよ。しゃべっちゃいけなかったんだろうけど、なんだよ、最初から言えよ、って。木谷に関しては信用してる。あの時に話を聞いてたから、間違えねえと思った」
新たなスターも誕生しようとしていた。12年の、年間最大の目玉興行、好例の1月4日に行われる「1・4東京ドーム大会」。2年間の海外武者修行を終えた24歳のオカダ・カズチカがIWGPヘビー級王者棚橋に挑戦表明した。
191センチの長身と整った顔立ち。自らを新日本にカネを降らせる「レインメーカー」と称し、2月のタイトル戦で棚橋を破り、王者となった。心強いバックと、才能あふれる若きスター。快進撃の準備が整っていた。

