プロボクシング元WBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太(37=帝拳)が28日、都内のホテルで現役引退会見に臨んだ。

会見での一問一答は以下の通り

村田 ボクサーとして引退しますが、引退という名のスタートだと思っている。よりよい社会、未来をつくるために、これからも皆さまとご一緒してくれればと思います。そのためのスタートを宣言したい。ここにスタートを誓うことを、ごあいさつとさせていただきます。

-引退決めた理由は。

村田 もともとゴロフキン戦が最後だと思っていたので、引退以外の選択肢がなかった。ゴロフキンと戦って通用する部分、こうすればよかったという反省もあり、決断までに時間がかかったが、これ以上、ボクシングに求めること、ボクシング界に対してできることが自分の中に見つからなかった。アマゾンという大きな資本が入ってきたことで、今まで以上に稼げただろうなと思うけど、その欲を求めてしまうんじゃないかと。その執着が芽生え始めている自分に気づいたのが最大の引退理由。

-ゴロフキン戦から1年。この間はどんな時間だったのか。

村田 次のステップに向けて、磨きたいスキルを少しずつ勉強しながら過ごしていました。ボクシングをしたいと思うことも、悩むこともあったけど、意外と淡々と過ごせていたので悪い1年ではなかった。思ったより頑張ったなと。抜け殻ではなかったと思っています。

-プロ生活で一番の思い出は。

村田 デビュー戦が一番印象深い。対戦してくれた(東洋太平洋ミドル級王者の)柴田(明雄)選手に感謝している。柴田さんは僕とやる必要もないのに、12回戦の選手なのに6回戦という条件をのんでくれた。失うものが多くある状況であの試合を受けてくれたことによって、僕自身が勝って免罪符をもらい、キャリアをつくることに使えた。その意味でいまも柴田選手に感謝している。

-ミドル級という階級で世界トップで戦い続けたことについては。

村田 大きいも小さいも関係ない。「ミドル級だからすごい」と言う気はない。もちろんコロナ禍で世界戦ができなかったこの階級の難しさとか、思うところはありましたが、あえてここで言う気はない。まあ上の階級に挑戦するという一つのモデルになれたことは良かったと思う。

-ボクサー生活で証明できたこと。

村田 ボクシング人生で気づいたことは、自分が思ったよりも強く、弱く、美しい部分もあり、みにくい部分もある。その自分自身をボクシングと向き合うことで見せてもらった。その旅だった。求めていた強さにはたどりつけなかったけど、思ってもいなかったことが見えた。それは意外と悪いものではなかった。弱さやみにくさを克服したいという向上心が見えたし、それが人生なのかなと思っています。

-本田会長との思い出は。

村田 変な判定で負けたと言われたエンダムとの第一戦で、試合後に「悪かったな、こんな判定でいやな気持ちにさせて」と言ってくれた。倒し切れなかった僕を責めるのではなくて、プロモーターとして何の責任もないのにそう言ってくれた。ゴロフキン戦では負けて花道を戻るときには「見ろよ(観客が)誰も帰っていないよ。負けた試合でこんなの初めてだよ」と声をかけていただいた。勝ったから、負けたからではなくて、内容を見た上で、ちゃんとした評価をしてくださった。人を結果だけで見ていないと感じました。

-今、悔いはありませんか。

村田 トレーニングなどでもっとこうすれば良かったと思うところはあります。これが必要だったとか部分部分は数え切れないほどある。それを含めてボクシング人生を全体像で考えれば悔いはない。

-ボクシングに何を与えてもらい、何を返したか。

村田 一番与えてもらったのは出会いです。ボクシングを通して、いろんな方々に出会って、恩師ができて、本当の仲間ができて、感謝する方々ができた。ボクシングは目的ではなく、人生を充実させるためのツールだったのではないかと思います。そのボクシングに対して、僕は何もできていない気がします。

-現役時代は人生ノートを書いていた。これからの人生ノートの一番上に何を書くか。

村田 まだ見つかっていない。これから人生が何かを届けてくれたら、それに対して全力で応える。目標達成とかは大事だが、37年間生きてきた中で考えると、自分が思っていた通りによくも悪くもならない。だから今を大事にしてその瞬間瞬間を積み重ねていった結果として何かが残るのだろうと思う。今、僕にはあのノートは必要ないと思っています。

-引退後にやりたいことは。

村田 皆さまのサポートでこのような人生を歩めたので、まずは自分がどうやって還元していけるか。知識や経験だったり。未来のある子どもたち、社会に向かってどういったものをつくっていけるのか。それが僕に課せられた仕事だと思っている。体を動かす、鍛えることにはそれなりの経験もあるので、そういったものを生かしていければと思っている。

-ボクシングにはどうかかわっていくか。

村田 アスリートのキャリアは20歳そこらで夢がかなってしまうと、その後のキャリアに同じような熱量が持てない。ゆえに悩んでします。僕もそうでした。だから、自分がこれからのキャリアをしっかりつくって、競技だけが人生ではないということを示すことによって、アスリートへのいいロールモデルになれれば、自分の存在価値はあると思っている。