大相撲の元十両彩(いろどり、30=錣山)が、5月の夏場所を最後に引退した。最後の番付は西三段目18枚目で、5勝2敗だった。昨年11月に母・純子さんを亡くしながらも奮闘してきたが、両膝のケガで十分な稽古ができず、引退を決断した。

「ケガをして、満足いく稽古ができず、十両に戻って幕内にもいくつもりでやりたかったのですが…。稽古ができずに中途半端にはしたくなかったんです」

中卒で錣山部屋に入門し、12年かけて27歳で新十両に昇進した。18歳で幕下に上がるスピード出世だったが、そこから関取になるまで8年以上かかった苦労人でもある。新弟子から兄弟子まで、分け隔てなく接する優しい性格。師匠の錣山親方(元関脇寺尾)も、部屋付きの立田川親方(元小結豊真将)も「錣山部屋のムードメーカー」と認める存在だった。

彩は、初めて十両で勝ち越した直後の2019年12月25日の朝稽古で右膝を痛めた。翌年の初場所、春場所とも強行出場したが途中休場となり、手術を受けた。21年6月には、左膝も手術を受けた。

2度の手術後はいずれも本場所を全休し、2度とも三段目からの再起を目指してきた。そんな時、母が倒れた。九州場所初日を2日後に控えた21年11月12日のこと。脳幹出血だった。

九州場所宿舎から地元の埼玉・越谷市の病院に向かった。だが、翌13日に死去。まだ51歳だった。彩は通夜・告別式に出席することなく、九州に戻った。

「師匠は『無理しなくていい』と言ってくれました。でも、おふくろなら、私のせいで(本場所に)出られなくさせてしまったと心配する。力士として土俵を務めないといけないと思いました」

初日は不戦敗となったが、1勝3敗から3連勝して勝ち越した。

「こういうことが理由で負けたら情けない。おふくろに申し訳ないと思って、気持ちを奮い立たせました」

本場所を終えてから、錣山親方と一緒に実家に向かった。

15歳で角界入りする時も母は「自分の人生なのだから」と言って、背中を押してくれた。序ノ口デビューの場所で勝ち越し、初めての給金(場所手当など)は全額、母に渡した。「おふくろは照れくさそうに『いいのに、いいから』と言っていましたが、その後バレないように泣いていました」。それから12年かけて十両に上がると、土俵入りを泣きながら見てくれた。

最近2年はコロナ禍にあり、実家には戻らなかった。そのため、母との直接の対面は、19年3月に自身の入院先に見舞いに来てくれた時が最後だった。

心に穴が開いたが、自らを鼓舞して土俵に上がり続けた。しかし、今年3月に再度右膝を痛めて引退を決意。5月の夏場所を最後と決めて、締めくくった。

「入門した時、関取になりたいとは思っていましたが、なれるとは思っていなかった。無理だろうなと感じていましたが、引き上げてくれたのは、師匠が指導してくださり、立田川親方が新弟子のころから胸を出してくれたおかげです。みなさんのおかげで上がれました」

およそ全力士の1割しか関取になれない角界にあって、合計4場所とはいえ十両に上がれたことは成功と言っていい。しかし、本人は幕内に上がれなかった後悔があるという。だからこそ、後輩たちには伝えたいことがある。

「現役はあっという間に過ぎるので、一日中相撲のことを考えるくらいの気持ちで、全てを相撲に費やすくらいの気持ちでやって欲しいと思います」

特に関脇阿炎は、小学校時代からの後輩でもある。阿炎の紆余(うよ)曲折は間近に見てきた。

「大関、横綱に上がってもらいたい。そもそもがセンスの塊で、大人になって考え方も変わってきて稽古を一生懸命するようになりました。才能の塊が努力をしたら、こうなる。もっと上を目指して稽古して欲しい」

彩という四股名は、幕下の時に師匠と立田川親方が命名してくれた。「彩の国」埼玉出身。「引退してみて、ふと思い出すと、いい名前だったとあらためて思います。覚えやすいですしね」。自身は今、松本豊として車の普通免許を取得するため自動車学校に通っている。第2の人生はまだ模索中で「人の役に立ちたいですね。まだ何をやるかは決まっていません」。

最後に、立田川親方に、彩について聞いた。

「もっと早く(関取に)上げられたのではないかと、悔いが残っています。彩が25歳くらいの時、自分がケガをして回復まで時間がかかり、胸を出してやれなかった。もちろん稽古相手はいたけど、自分がケガをしないでぶつかり稽古で出していれば、もっと早く上げられた。幕内までいける力はありました」

彩にも幕内に上がれなかった悔しさが胸に残るが、立田川親方はこう続ける。

「相撲界でいろいろな経験をして関取にも上がったし、努力すれば報われることも、挫折も経験した。こういう経験は、次の仕事にもつながる。相撲界から離れても、錣山部屋にはかかわっていってほしい。錣山部屋から、中卒たたき上げで関取になったのは、彩が初めてなんです。豊が上がってくれたのは、自分たちにも錣山部屋にとっても自信になる。すごいことをやったんだと、自信を持って欲しい。師匠も僕も自信にしているんです。それは豊のおかげなんです」

これ以上の褒め言葉はあるだろうか。彩は18日に、両国のホテルで断髪式を予定している。入門まで15年、入門してから15年。ここから次の人生、自信をもって進めばいい。【佐々木一郎】

◆彩尊光(いろどり・たかてる)本名・松本豊。1992年(平4)3月10日、埼玉・越谷市生まれ。小4から相撲を始めた。15歳で錣山部屋に入門し、2007年春場所初土俵。19年夏場所で新十両。最高位は西十両11枚目。通算338勝282敗34休。180センチ。