関脇琴ノ若(26=佐渡ケ嶽)が、大関昇進を確実にした。取組前まで対戦成績が6勝6敗だった東前頭4枚目の翔猿を上手投げで破り、13勝2敗で本割を終えた。直後の結びの一番で、2敗の横綱照ノ富士が3敗の大関霧島を破り、優勝決定戦へ。照ノ富士との優勝決定戦は、寄り切りで敗れて初優勝はお預けとなったが、優勝同点で大関昇進を事実上決めた。

琴ノ若は、ともに関脇の先々場所は9勝、先場所は11勝。三役で3場所33勝という大関昇進目安に到達した。優勝決定戦直後こそ、過去全敗の照ノ富士に、7度目の挑戦も敗れ、報道陣の取材を受けている最中に「負けは負け。結果が全て」などと答えながら、一筋の涙を流して悔しがった。ただ、技能賞を初受賞して表彰を受けた後の約1時間後には、少し気を取り直し、大関昇進について「それはうれしいけど、切り替えないと。来場所は、もう始まっている」と、新大関場所を見据えていた。

これで父で師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)の番付を超え、祖父で故人の元横綱琴桜に近づくことが内定した。佐渡ケ嶽親方は今場所前「早く私を越えてほしい。自分を越えてくれるなんて、そんなうれしいことはない」と、この日が来ることを夢見て話していた。

琴ノ若は埼玉栄中、高を経て、佐渡ケ嶽部屋に入門した。同高3年時の10月中旬、埼玉栄高の寮から、荷物をまとめて引っ越してきた。その日、父からは「これからは親子ではないよ。師匠と弟子だよ」と言われ「分かっています」と答えた。以来、両親は「師匠」「おかみさん」に呼び方が変わり、全て敬語になった。

「特別扱いしていると思われたくないから」(佐渡ケ嶽親方)と、むしろ他の弟子よりも厳しく指導された。伝統的に部屋では幕下に上がれば、雑用をすることはないが、当時「琴鎌谷」のしこ名だった琴ノ若は、幕下に上がってもゴミ拾い、デッキブラシを使ってゴミ置き場を清掃するよう命じられていた。頑張って稽古した弟子だけが、師匠に食事に連れて行ってもらえるが「今だから言いますが、琴ノ若は他の弟子よりも極端にその回数が少なかった」(佐渡ケ嶽親方)という。むしろ厳しさにおいて、特別扱いを受けていた。

佐渡ケ嶽親方は「素質は、努力の邪魔をする。素質があれば、何となく勝ててしまうから。将且(まさかつ=琴ノ若の本名)は、私が言うのも何ですが素質はあった。でも努力することの大切さを、日々の稽古場から学ばせた」と振り返った。素質プラス努力-。けっしてスピード昇進ではない。何度も壁にぶつかり、何度もはね返されてきたが、ついに父を越えた。千葉県松戸市出身。千葉県出身としては、91年名古屋場所で初優勝した、佐渡ケ嶽部屋の大先輩、琴富士以来、33年ぶりとなった。

琴ノ若が小学4年の時、祖父に将来「琴桜」のしこ名を受け継ぎたいと話したことがあった。すると祖父は「大関になったらいいぞ」と、優しくほほ笑みながら約束してくれた。その約束を果たせる時は、もう間近だ。当面、琴ノ若のしこ名を使う予定だが、遅かれ早かれ、いずれは「琴桜」に改名予定。祖父が現役を引退したのが1974年。50年の時を経て「琴桜」のしこ名がよみがえる日は近い。【高田文太】