元横綱の曙太郎さんが54歳で亡くなり、入門時から鍛えてもらった元小結高見盛の東関親方(47)は11日、故人を悼んだ。

同親方が日大卒業後、東関部屋に入門した際、曙さんは同部屋の横綱だった。付け人につき、あらゆることを身をもって教わった。「相撲の怖さ、支度部屋でのあのヒリつく緊張、横綱についていることの緊張感。強くて怖い横綱でしたが、土俵を離れたらやさしい方でした」。

自身が新十両で負け越した2000年初場所でのことは忘れられない。「もっと気持ちを大きく持っていけよと言われたのが、大きかったですね。自分は小心者で、ビビリ症で、人見知りがある。そんな自分でも稽古をつけてもらって、自信をつけてもらった。ぶつかり稽古は、自分がぶつかって押したとうよりは、逆にぶっとばされた感じでした」。

強くしてもらった一方、曙さんが19場所ぶりの優勝を果たした2000年名古屋場所では、優勝パレードの旗手に指名してもらった。

最後に会ったのは、先代東関親方(元幕内潮丸)の通夜の時だったという。「入院中だったのか、寝たきりの状態でいらして、車いすで焼香してくれました」。あれから4年4カ月。「東関部屋時代の人が亡くなっていくのはつらい。何を言っても、言葉にならないのが今の気持ちです」と静かに話した。