元大関若嶋津で元二所ノ関親方の日高六男(ひだか・むつお)さんが、15日に肺炎のため69歳で亡くなったことを受けて、部屋を引き継いだ放駒親方(48=元関脇玉乃島)が、涙ながらに故人への感謝の言葉を並べた。報道陣の取材に応じ「昨日(15日)の方が、受け止められた感じです。今日になって、情報がいろいろと入ってきて『本当に亡くなったんだ』と、逆に昨日よりも受け止められなかった」と、神妙な顔つきで話した。
放駒親方は現役時代には片男波部屋に所属し、引退から3年後に移籍し、当時の二所ノ関部屋付き親方となった。「快く受け入れてくださって、そこから今まで、本当にお世話になり、勉強させていただきました。力士への怒り方にも愛情がありました。怖かったけど、その中に優しさがありました。だから若い衆も受け入れる」。現役時代に直接、指導を受けたことはなかったが、指導者として常に手本としてきた存在だったという。
また、日高さんが師匠を務めていた時に入門した十両島津海が、若嶋津と同じ緑色の締め込みを着けたことに話が及ぶと、涙が止まらなくなった。「(日高さんが亡くなったことは)伝えていませんでした。でも何を思ったか、島津海がまわしを締めていて…。グッとくるものがありました」。
放駒親方が、日高さんと最後に会ったのは「3年ぐらい前だと思います」という。思い出すのは「自分の好きなようにやっていいんだよ」という故人の言葉。いつも背中を押してくれたことに、感謝の思いがあふれた。ただ「家族のような部屋でした。これは絶対に引き継いでいきたいです」と断言。決意を新たにしていた。

