AKB48峯岸みなみ(28)が、22日に横浜・ぴあアリーナMMで卒業コンサート「桜の咲かない春はない」を行う。最後の1期生で、昨年12月に結成15周年を迎えたグループの生き字引とも言える峯岸のアイドル人生を4回にわたって連載で振り返る。第3回は、スキャンダルから騒動に発展し、研究生に降格した峯岸が、そこで出会った“第2の同期”とのエピソードを振り返る。【取材・構成=大友陽平】

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AKB48の公式ブログのタイトルは、メジャーデビュー後から「TOKYO DOMEまでの軌跡」だった。メンバー自身も実感がなかったという目標が、12年8月、ついにかなった。絶対的センターの前田敦子(当時21)が同公演を門出に卒業したが、同年末には、「真夏のSounds good!」で史上6組目となるレコード大賞連覇も達成するなど、AKB48は、一挙手一投足が注目される“国民的グループ”となった。

13年1月、成人式も迎えた峯岸に、アイドル人生を大きく左右する出来事が起こる。週刊誌に熱愛が報道され、丸刈り姿で謝罪動画をYouTubeで配信。研究生に降格した。峯岸は、あえてアイドルを続けることを決めた。

「それまで7年以上続けてきたことを急に投げ出したくはないというか…。ちゃんと卒業して、親に見せたいというか…。こういう感じで終わりにはしたくないなと思っていました」

グループやメンバーに対しての申し訳なさももちろんあったというが、想像以上に家族に迷惑をかけてしまった。

「その時期は、実家にいることが多かったです。心配ばかりかけてごめんなさい…と思っていました。いろいろ迷惑をかけていたのですが、自分の意志は、尊重してくれていました」

1期生としてグループを先頭で引っ張ってきた存在が、経験したこともない研究生から出直すことになった。当時研究生は、佐々木優佳里(当時17)大森美優(当時14)ら12期生と13期生、14期生がいた。研究生だけでの劇場公演を行うなど、正規メンバーチームに負けず劣らずの人気だった。

「(降格して)研究生の公演のレッスンがあって、そこで何人かに会った気がしますが、とにかく申し訳なさでいっぱいでしたね。研究生を応援している方って、キラキラしたものを見たくて来ているのは分かりますし、その中に私がいるのは、ファンの皆さんも嫌だろうなと…」

研究生にとっても、突然やってきた“大先輩”の存在に戸惑うのは、無理もないだろう。

「気をつかわせるだろうし、どう接していいかも分からなかったと思います。自分と仲良くしてもらうことも『こんな先輩と仲が良いってどうなの?』と思われますし、みんなのメリットにはならないと思っていたので、自分から積極的にいくのも違うと…。しばらく壁はあったと思います。(卒業生で13期生の)岡田彩花ちゃんとかが、いろいろなことを教えてくれたりして、頼るようにはなりましたが、偏ると他のメンバーは『私とは…』となってしまう。やっぱり思春期の女の子なので、難しいんです」

ぎこちない関係が続く中、心の打ち解ける出来事が起こる。14期生の岡田奈々(当時15)らがある日の公演後に、峯岸に「ダンスを踊って欲しい」と願い出たのだ。岡田奈々が当時を述懐してくれたことがあった。

岡田奈々 研究生でありながら、1期生の大先輩と一緒にできるといううれしさ半分、不安が半分という感じでした。どう接したらいいのか、分からなかったんです。その時にやっていた「僕の太陽」公演の後半に「そんなこんなわけで」「デジャビュ」という大人セクシーな2曲があるんですけど、研究生の自分には表現しきれなかったんです。公演後に、勉強したいので、実際に音をかけて全力で踊ってくれませんか? とお願いしたんです。そうしたら本当に踊ってくれて、そのパフォーマンスがすごすぎて、自分はこんな人になれるんだろうか? と、もう涙が止まらなくなってしまって…。そこから、パフォーマンスを吸収したり、トークでどんな話をしたらいいんですか? と質問したり、みんながみぃさんの前に行列を作るようになったんです。

懐に飛び込んできてくれた研究生たちの思いが、峯岸にとってもたまらなくうれしかった。

「降格して、それまでは自分のことを情けないなと思っていたんです。でも、こんな先輩からでも学びたいと思ってくれる後輩がいるというのは自分の励みになって、もう何もかも教えてあげようと思って…。聞かれたことには全て真剣に答えて、悩みも聞いて、そうしていく中で研究生たちが『峯岸さんに教えてもらいました』とか言ってくれるようになって、そうしたらその子たちのファンの見方も変わってきたんです。最初は『私がここにいてもいいんだ』と思う場所が欲しかっただけだったのに、そこからみんなと仲良くなれましたし、特にゆうなぁ(村山彩希と岡田奈々)とは、家族にも話せないような話もできたりする仲にもなりました。ライフポイントが0になる前に栄養を与えてもらって、今も生きているって感じです」

13年6月には、姉妹グループも含めた研究生だけで、日本武道館コンサートを開催。同8月には公演を一緒に行っていた研究生が正規メンバーに昇格し、峯岸をキャプテンとする「チーム4」が結成された。翌14年には、グループ全体の組閣(チームのメンバー替え)で新たなチーム4となったが、引き続き峯岸がキャプテンを務めた。

現在48グループ総監督の向井地美音(23)をはじめ、チームKキャプテンの込山榛香(22)、チームBキャプテンの岩立沙穂(26)、チーム4キャプテンの村山彩希(23)、兼任するSTU48で結成時から昨年1月までキャプテンを務めた岡田奈々ら、“峯岸チルドレン”とも呼ばれる当時の研究生、チーム4のメンバーが、今のグループを中心になって引っ張っている。

「自分が一緒にいたから…とは思わないですけど、そう言ってもらえるほど当時の研究生やチーム4には勢いがあったんだと思います。メンバーの良いところを見つけて、一緒に前を向いて、こちらが返せば返すほど、向こうからも返ってくるという環境は1期生の時にはなかった感覚で、“第2の同期”だと思っています。みんなのおかげで、AKB48を違う角度から楽しめたのは良かったなと思います」

あえて選んだいばらの道は、振り返ると多くのものをもたらしてくれた。“第2の同期”という一生の仲間と出会えただけではなく、今、納得して卒業できる自分がいる。

「『いち 峯岸みなみ』として、あのスキャンダルがあって良かったのかと言われたら、それはなかった方が良かったと思います。親も悲しませてしまったし、AKBにも傷をつけてしまったし、自分も一丁前に傷ついたし…。でもAKBの中にいる私にとっては、改めてAKB48を好きになれたきっかけですし、一生仲良くしているんだろうなというメンバーも、その時に出会った後輩に数多くいるし、あれがなかったら出会えなかった人もいます。良かったとは言えないですけど、悪くはなかったのかもしれません」(つづく)