6年前にテレビ東京系で放送された連続ドラマ「鈴木先生」は、竹富健治氏のコミックを原作にした一風変わった学園ものだった。

 長谷川博己演じる鈴木先生は、金八先生のように情熱で引っ張るのではなく、一見冷静に学級内をさばいていく。だが、その問題解決能力の裏には多くの葛藤があり、その心の声が「副音声」のように響いて、テロップが流れるところが演出のミソだった。

 その鈴木先生が頼りにするのが優等生の小川蘇美で、時々に先生の動揺を鎮める錨(いかり)のような存在だった。演じていたのが当時16歳の土屋太鳳で、このドラマが記憶に焼き付いたのは、この新人女優のただならぬ存在感があったからだ。

 鈴木先生はクラスをまとめるのに蘇美を利用しながら「彼女のような普通のいい子を摩耗させて教室内のバランスを保たせること」に罪の意識を感じている。揚げ句の果てに彼女との道ならぬ恋を妄想したりもする。

 清らかさを絵に描いたようでいて、女性としての魅力をほのかに感じさせる。このマドンナ役を土屋は透き通った魅力で演じていて、劇中の鈴木先生同様にグッと引き込まれた。

 その真っすぐ魅力に加え、抜群の適応力もあって、現在の土屋の活躍にはすさまじいものがある。2年前のNHKテレビ小説「まれ」のヒロインはもちろんとして、時代劇からスポ根もの、胸キュンもの、アニメの声優…これでもかというくらい出まくっている。その間、ユーチューブでキレのいいダンスも話題になった。すべてに全力投球感があって、使い減りしない印象がある。

 そんなタフさが全面的に生かされているのが9月1日公開の「トリガール」(英勉監督)だ。

 日本テレビ系の放送で、すっかり有名になった「鳥人間コンテスト」を題材に大学の人力飛行サークルの青春群像が描かれる。山道のママチャリ通学で鍛えた脚力を買われ、一躍「パイロット」に抜てきされた新入生が土屋の役だ。自転車の快走ぶりには、そんな設定を裏打ちするリアリティーがある。

 長身の間宮祥太郎をライバルに、23センチの身長差をものともせずに山道をこぎ続け、大声も張り上げる。体力+コメディエンヌとしての力量も存分に発揮しているのだ。おそらく本当にそうなったであろう息をあげるシーンや、酷使を続けてしだいに鈍くなる筋肉の動き…彼女ならではと思わせる限界演技に改めて感服する。「らしさ」という意味では、それを極めた作品と言ってもいいだろう。

 マルチな活躍の根源は気力、体力はもちろん、人一倍の好奇心にあるのではないかと思う。4年前の日刊スポーツ映画大賞授賞式で、そんな一面を垣間見た。

 実は受賞者やプレゼンターとしての前年受賞者としてではなく、お祝いの花束を渡す役での来場だった。当時の知名度はイマイチではあったが、翌年のテレビ小説のヒロインに決まっており、申し訳ないくらいの「脇役」のお願いだったと思い返す。

 そういう立場で、授賞式にいるのはできるだけ短時間で済ませたいと思うのが人情で、多くの女優さんは役目を終えるとさっと会場を後にするのだが、彼女の場合は進んで着席し、最後まで会場にいてくれた。個人的には「鈴木先生」の「小川蘇美」が来てくれた、という思いが強く、恥ずかしながら遠目にじっと観察していたのだった。

 席は会場中ほどの丸テーブルのステージ側。つまり、授賞式は背中側で行われている。彼女は受賞者が登壇する度に上半身ごとステージ側を向き、イスの背もたれをじっと握って、司会者やゲストとのやりとりを食い入るように見詰めていた。15メートルほどの距離からも、舞台照明の反射で目がキラキラしているのが分かった。

 嫉妬はみじんもなく、羨望(せんぼう)というよりは、子どもが着ぐるみショーに見入るような目だった。芸能に対するこの人のまっすぐな思いが伝わってくる感じだった。

 マルチな活躍が過ぎると、それは「器用貧乏」と言われるものに通じ、逆に「賞」から遠ざかってしまうきらいはある。が、いつの日か受賞者として映画賞会場にお迎えする機会を心待ちにしている。【相原斎】