イスラエル映画で思い出すのは「グローイング・アップ」(79年)だ。80年代に数々のアクション作品でハリウッドを席巻したプロデューサーのメナへム・ゴーランが、ジョージ・ルーカス監督の「アメリカン・グラフィティ」に触発されて製作した能天気な青春映画である。テルアビブを舞台にした恋とオールディーズの世界は戦禍とは無縁で、米国映画と勘違いするような仕上がりになっていた。

29日公開の「運命は踊る」は対照的だ。一見平穏に見えながら、常に「死」を意識せざるを得ない緊張が描かれる。

建築家のミハエルと妻のダフナは瀟洒(しょうしゃ)なアパートに暮らしている。静かに流れる時間。ある日、突然、軍人の一行が扉をたたく。徴兵されていた長男ヨナタンの戦死を伝えに来たのだ。ダフナは気を失い、ミハイルもぼうぜん自失となる。

時を置かずして戦死は誤報と分かる。ダフナは素直に喜ぶが、ミハイルの怒りは収まらない。コネを総動員してヨナタンの即時帰還を要求する。が、この行動が予想外の方向に運命の歯車を回すことになって…。

映画は随所にイスラエルのリアルを描き出す。年配者が目立つが、施設は充実し、福祉の行き渡った都市部の平穏。一方で、ヨナタンが赴任している検問所は、一本道の周りに見渡す限り何もない。

イスラエル人は総じて熱心なユダヤ教徒のように想像しがちだが、ミハエルは世俗派と呼ばれる無神論者に近い人だ。長男の死を伝えに来た軍のラビ(ユダヤ教の導師)が、儀式の式次第を説明すると、気を静めるどころか怒りをあらわにする。ここにも生々しいイスラエルが感じられる。

ヨナタンの検問所では、4人の兵士が淡々とルーティンをこなし、休憩時間には質素な缶詰をつついて食事を済ます。通過するのは1日せいぜい数組。手続きは冷酷なくらいしゃくし定規だから、パーティー衣装のカップルも雨の中に立たせ、車中をチェックする。危険人物にはとうてい見えないが、見張り台の中では青年兵が大型のマシンガンを構えている。罪のない童顔のまなざしが怖い。

序盤の戦死の誤報、そしてこの検問所で起きたとんでもないアクシデントが終盤の運命を回していく。この作品の基盤になっているギリシャ悲劇の3部構成は、因果応報と置き換えることもできる。

09年の「レバノン」で注目されたサミュエル・マオス監督は「ミハエルのようなイスラエル人はたくさんいます。彼らはホロコースト生存者の第二世代で、親たちが地獄を経験して生き延びてきたのだから、不平を言ってはいけないと言われてきた世代です。孤独で自分の感情を押し殺している」と背景を説明する。欧米の映画各賞で演技を評価されているリオール・アシュケナジーが、そんな主人公の心の奥底をのぞかせる好演だ。

ヨナタンが検問所で踊る社交ダンスのフォックストロットが印象的にクローズアップされる。前、前、右、後ろ、後ろ、左と結局もとに戻るステップがこの映画の運命の踊る先を暗示している。見終わった印象は「グローイングアップ」とは正反対にズシリと重い。

【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)

「運命は踊る」の1場面 (C)PolaPandora-SpiroFilms-A.S.A.P.Films-Knm-ArteFranceCinema-2017
「運命は踊る」の1場面 (C)PolaPandora-SpiroFilms-A.S.A.P.Films-Knm-ArteFranceCinema-2017