「あの悲劇を語り継ぐ責任が我々にはあると思う。戦争で死んでいった圧倒的な数の兵たち、戦後無辜(むこ)の罪に問われ死を迎えざるを得なかった軍人たち、1発の原子爆弾、1夜の無差別空襲で命を奪われた数えきれぬ市民たちは、みな我々の兄姉、父母の世代である。今日我々を包みこむ『平和』は、あの人たちの悲しみの果てにもたらされた」

 この文章を書いたのは、先日、85歳で亡くなった劇団四季元代表で、演出家の浅利慶太さん。自ら上演台本を執筆し、演出した「ミュージカル李香蘭」「ミュージカル異国の丘」「ミュージカル南十字星」の戦争三部作を連続上演した時のパンフレットに寄稿した。浅利さんの少年時代は戦争の最中だった。3歳の時に「二・二六事件」があり、永田町に住んでいた浅利さんは、家の近くで雪の中に立つ反乱軍兵士の姿を見ている。44年に空襲が始まり、疎開も経験している。

 「戦争は民衆のすさまじい犠牲を伴って戦われるということである。戦争は長く続く悲劇を生む。だから、戦争を決断する立場となった人は、このことを深く心に刻まなければならない。政治家だけではない。それを支える人、あるいは世論に影響をもたらす人まで含めて、責任を問われる」

 当時、「一銭五厘」という言葉があった。「一銭五厘」は国民を1人の兵士として徴集する国家の命令書である「召集令状」の郵便料金のこと。戦時の兵士が自嘲した言葉、「おれたちは一銭五厘の使い捨てよ」の意味はここにある。

 「戦争指導者の頭の中に、もし一兵は『一銭五厘』にすぎないという発想があったとしたら、それは万死に値する。この時期国政をリードした人たちと、時代を支配した高級軍事官僚たちに、日本の置かれた状況に対する判断の甘さを見た。甘さと言うより浅慮、無知と言ってしまったほうがいいかもしれない。この時期の日本には、こうした場合重要な役割を果たすべき、『政治』が不在だった。リーダーたちは『視界狭窄(きょうさく)』に陥り、それまでの『行きがかり』を捨てきれず、結果、多くの国民を破滅と死の淵に突き落とした。世論を戦争にかき立てたジャーナリズムの責任も重い。戦時中の指導者の中には、非人間的な思い上がりが見える。そして、この民を軽んじる『官僚主義』と、これに不可分な『事なかれ主義』は過去も、現在も、日本人の社会をむしばむ病いではないかと思い至った時、鳥肌が立った」

 今の「政治家」の危うさ、軽さを見るに付け、この言葉は、現在の日本の状況を言い当てているかもしれない。7月、桂歌丸さん、加藤剛さん、そして浅利さんと、戦争を体験した最後の世代が相次いで亡くなった。3人に共通するは、戦争を忌避する思いにある。これは、我々への警告の言葉でもある。【林尚之】