「ガス管をくわえたこともありました」。そんな衝撃的な告白をしたのは人間国宝の中村吉右衛門(74)。7月の日本経済新聞で掲載された、半生を語る人気コーナー「私の履歴書」の中で飛び出した。

吉右衛門と言えば、歌舞伎界の大御所。8代目松本幸四郎(初代松本白鸚)の次男として生まれ、幼い頃に母方の祖父である初代中村吉右衛門の養子となり、4歳で中村萬之助を名乗って、初舞台を踏んだ。初代は名優と言われたが、吉右衛門が10歳の時に亡くなった。そして、22歳の若さで2代目を襲名した。衝撃告白はその頃の話だった。

22歳で大名跡を襲名するのは、想像以上のプレシャーだったろう。団十郎なら、新之助から海老蔵、菊五郎なら、丑之助から菊之助、幸四郎なら、金太郎から染五郎というように、年齢にあった名跡を経て、最終的に大名跡を襲名するケースが多い。しかし、吉右衛門はいきなりだった。吉右衛門によると、初代が亡くなった時、「名跡は止め名にした方がいい」という声も上がっていたという。止め名とは、2度と使わない名跡のことを言う。それほど、熱狂的なひいきがいた。

「自分が継いでいいのか」と悩んだこともあったというが、襲名から半世紀が過ぎ、今や人間国宝にまで上り詰めた。吉右衛門は「ダメだ、ダメだと思いながら、階段を1歩1歩ずつ上がってきた。初代が亡くなった時の年齢(68歳)も超えて、こんなに長くやるとは思わなかった」と振り返る。

そんな吉右衛門に夢がある。1つは、9月の東京・歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」で演じる「俊寛」をパリ、ロンドンなど欧州でもやること。「ナポレオンが島流しになったように、フランスやイギリスは海外に流刑地があるので、説明しなくても、よく分かってくれるんじゃないか」。そして、80歳で「勧進帳」の弁慶をやること。「私の目標です。許していただけるなら、この秀山祭でやりたい」。その時の富樫はおいの松本幸四郎、義経は婿の菊之助だろうか。

74歳になった今も、「舞台に上がると、不思議なもので、元気になるんです。逆に、休みの月の方がダメ」という吉右衛門なら、80歳の弁慶も期待できそうだ。【林尚之】