歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんが亡くなった。88歳だった。12年から日本俳優協会の会長を務め、名実ともに歌舞伎界のトップだった。そして、歌舞伎界の従来の慣例にとらわれない、進取の人でもあった。

藤十郎さんは長男の中村鴈治郎(61)、次男の中村扇雀(59)に歌舞伎を強制しなかった。御曹司は小さい頃から稽古に明け暮れるものだが、藤十郎さんは「これからは学校が大事」と学業優先を貫き、鴈治郎、扇雀が長唄や三味線などの稽古を本格的に始めたのは20歳ごろからだった。ともに幼稚舎から慶応に進み、子役時代の短い期間を除いて、大学生(ともに慶応大法学部)となるまでは歌舞伎とは無縁の生活を送った。歌舞伎の世界だけではなく、広く外の世界を知ってほしいという、親心だった。

宝塚歌劇団出身の女優だった妻の扇千景さん(87)に対しても同様だった。梨園(りえん)の妻は内助の功を求められていた時代に、藤十郎さんは新婚早々に女優としての活動を容認した。扇さんはフジテレビ系「3時のあなた」の司会、「私にも写せます」のフレーズで人気になったCMにも出演。77年、当時の福田赳夫首相に口説かれ、タレント候補として参院選の全国区に自民党から立候補し当選。運輸大臣、建設大臣、国土交通大臣を経て、参院議長を務めた後に政界を引退した。議員生活は30年になった。4年前に扇さんが初期の乳管がんで入院した時、歌舞伎座に出演中だった藤十郎さんは病院に泊まって、病院から歌舞伎座に通う日を1週間も続けた。

70歳の時に、51歳年下の舞妓(まいこ)との浮気現場を激写され、マスコミが押しかけて会見するまでの騒ぎになったけれど、藤十郎さんは「世の男性も頑張ってほしい」と話し、当時、国土交通大臣だった扇さんも「女性にもてない夫なんてつまらない」と援護射撃した。若い頃から女性にもてた藤十郎さんだけに、浮気に目くじらをたてることもなかった。

藤十郎さんの座右の銘は「一生青春」。83歳の時に「曽根崎心中」で恋のために死に向かってひた走るお初を演じ、みずみずしい色気があった。老け込んでいては、83歳でそういう役を演じることは不可能だろう。昨年4月、米寿を記念した舞踊「寿栄藤末廣 鶴亀」に女帝として出演した。体力的な衰えは隠せなかったけれど、所作は美しく、何よりも品格があった。それが最後に見た藤十郎さんの舞台になった。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)