三遊亭好楽(76)が2月中席(11~20日)の浅草演芸ホール昼の部「五代目春風亭柳朝三十三回追善興行」に出演する。1983年に落語協会を退会し、5代目三遊亭円楽一門に移籍後は初めてで、実に40年ぶりの落語協会の定席出演となる。

40年も寄席に出られなかった背景には、1978年5月に起こった落語協会分裂騒動がある。もう45年前のことでリアルタイムに知っている人も少なくなったし、私も入社したばかりのことだった。当時の柳家小さん会長のもとで行われた真打大量昇進に、前会長の三遊亭円生が反発。落語協会を脱退し、新団体「落語三遊協会」を設立した。当初は参加予定だった立川談志一門は直前に離脱し、設立の発表会見には円生、橘家円蔵、古今亭志ん朝、円楽、月の家円鏡が出席し、会場には150人を超える取材陣が集まった。しかし、直後に都内にある4つの寄席の席亭が「新団体の寄席出演は認めない」と声明を出したことから、円蔵一門、志ん朝一門が早々に落語協会に復帰。結果的に円生一門だけが残り、寄席から締め出される形で活動を続けることになった。

好楽はもともと8代目林家正蔵(後の初代林家彦六)門下で、林家九蔵を名乗っていたが、1982年に師匠が亡くなると、1年後に5代目円楽門下に移り、三遊亭好楽と改名した。当時の円楽一門は孤立していた。円生が79年に亡くなったため、ほかの円生の直弟子たちは落語協会に復帰し、円楽一門だけが「大日本すみれ会」(後の五代目円楽一門会)として活動していた。移籍には「大企業から零細企業に行くなんて、バカだね」とも言われたが、好楽は「5代目が好きだった」「寄席以外でも落語はできる」と意に介さなかった。レギュラーだった「笑点」も移籍直後に「古典落語をしっかりやりたい」と一時降板し、88年に復帰するまでの5年間は初心に帰って落語と向き合った。

今回の40年ぶりの落語協会定席出演は、5代目柳朝の弟子の春風亭小朝の発案だった。

柳朝と好楽は同じ8代目正蔵門下で、好楽はよくかわいがられ、家族ぐるみで付き合っていたという。そんな2人の関係を知るからこそ、協会は違っても、追善興行には出てほしい一人だった。落語協会の理事会でも反対はなく、満場一致で出演が決まったという。昨年亡くなった6代目円楽さんがよく口にしていた言葉に「落語界を一つにしたい」があった。分裂騒動の渦中にいた人はほとんどが鬼籍に入っている。今回の定席出演が雪解けのきっかけになればと思う。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)