乃木坂46、4期生の林瑠奈です。



「評価」



これってほんとに難しいですよね。



自分に限らず、人を評価することも難しい。



日々色々なことに挑戦したり、

続けたりする中で

どうしたら成長につながるか

ということを考えたときに、



“適切なタイミングで

自分を評価して客観的に見る”



そこで何が足りていないとか、

逆にこういった部分が自分は得意だから

もっと伸ばしていこうとか、

自分を評価して考察することで

先に繋げようとすることがあります。



人を評価する場面。



今現在の私の経験で言うと、

高校や大学で研究発表のような形で、

他の人の作品だったり

スピーチだったりプレゼンだったり、

そういった他者が作ったものに対して

評価を下すことがあると思います。



他者への評価と言うのは、

その当事者からすれば

客観的な視点で見てもらった上での

意見という捉え方じゃないですか。



でも実際は、自分の経験だったり

価値観だったりとか、

評価する側の主観的な目線だって

入ってくるわけです。



もちろん評価することを

生業としている人もいるので、

全ての人が主観的な評価を

しているというわけではないと思うのですが、



当事者から見たらそれが

客観的意見の1つであったとしても、

評価を下している人からしたら

「私個人の意見だけど」という言葉が

前提で付いていることって

多いんじゃないかなと思います。




そんな他者への評価で、

よかれと思ってやっていても

当事者やその周りから

配慮が足りないと思われる可能性があるのが



“過大評価”



だと私は思います。




評価する側は特別な思い入れがあったり、

贔屓目から本当にそう感じて

評価しているのかもしれないけれど、




当事者からすると、

客観的な意見の1つとして

見られないくらい

「ちょっとこれって言い過ぎかなぁ」とか

「持ち上げすぎかなぁ」と感じることが

あると思うんです。




その人への評価を正当化するために

他の人のことを下げるような言い方をしたり、

むやみに比較されて良い評価を下されるのは、

嬉しさより

謙遜から心が痛くなる場合もあります。




さじ加減がとても難しいところで、

明確なラインを引くことはできませんが、



本当に実力があったり、

優れた作品を作っていたとしても、

過大評価をしている人がいることによって、

「あれだけ言われてるけど

実際は大したことないじゃん」みたいに




今後正当な評価をされなくなってしまう

可能性があるんじゃないかと思うんです。




人に対して評価を下すとき、

それだけでなく

褒めるときなんかもそうですけど、

内容が良いことであったとしても

言葉選びだったり、

当事者やその人の周りの人への

配慮を忘れてはいけないなと思います。