乃木坂46、4期生の林瑠奈です。



「ケースバイケース」、

「場合によっては」、

「状況によっては」



私がよくこのような言葉を使っているのは、

コラムを読んでくださっている方なら

見覚えがあるという方が

多いんじゃないでしょうか。




今のこの時代、

何かを発言をするにも行動に起こすにも、

多方面に配慮するのが

当たり前となりつつあって、



自分が表現しようとしていることが

多数派であっても少数派であっても、

反対側の立場だけでなく、

〝その他〟に属する人へ向けての

配慮も求められる、



そんな時代へと変わってきていると思います。



デジタルタトゥーという言葉がありますが、

表現の可能性が広がり、

拡散の及ぶ範囲が

想像以上の大きさである今、

あらゆる可能性を考えた上で、




「あくまでも私の意見としてはこうですよ」



と、前提を含めていないと

話を理解してもらいづらかったり、

偏見のように思われてしまうことが

増えたように感じます。




はっきりと記憶があるわけではないですが、

ここ10年、世の中が「ネット社会だ」と

言われるようになってからは、

自分が思う以上に

かなり慎重な配慮をしないと、

自己表現の自由さは保障されなくなりました。



「※個人の感想です」や

「※個人差があります」といった注釈が

つけられるようになったのも

似たようなものかと思います。



この〝多方面への配慮〟も元をたどれば

最初から気にかけていなければ

ならなかったことだとは思うんです。



でも何を今更って思ってる人の

気持ちもわかる。



勿論時代の流れにうまく乗れれば

それに越したことはありませんが、



私たちが想定していた以上に早く、

マジョリティやマイノリティという

〝立場〟を強く意識する時代に

変わったということだと思います。



メディアにおける注釈や、

最初に私が言ったような

「場合によっては」のような

前提を含めずに話を始めると、



自分とは異なる立場の人を不快にさせたり、

揚げ足を取られてしまったりと、

考えの補足や誤解を解くための説明が

必要になるという状況が

発生することがあります。



ここで〝誤解を解くことができるか〟、

今までならこれが

課題だったかと思うのですが、



前提なくしては発言の余地さえないのが

今の時代です。



トラブルの原因が相手の誤認識だとしても、

自分の言葉足らずだったとしても、

補足・訂正することが許されない。



一回こっきりなわけです。



だから私は、



「予防線を張っていてダサい」



なんて風にと思われたとしても、

発言の意図を説明する機会を

失わないために、

配慮や前提を含めた表現を

していきたいなと思っています。



ただこの私の考えも、

状況や人によって

大きく変わってくるわけです。



ケースバイケース



届ける側、そして受け取る側も

心に留めておきたいですね。