温泉マニアはこれからの季節が大変である。いい湯が多い群馬、栃木、長野、山梨などの山間部は、積雪や凍結のため、気軽に車で行きずらくなるからだ。

ただ、年末ごろまでの期間はまだギリギリ大丈夫なことが多いので、今のうち山間部の「いい温泉」めぐりを一気に済ませておきたいところだ。

そこで、個人的に真っ先に再訪候補リストに浮かぶのが、栃木県那須町の山奥に湧く日帰り温泉施設「老松温泉・喜楽旅館」なのである。

この林道を奥に進んでいくと、衝撃&驚愕の光景が…
この林道を奥に進んでいくと、衝撃&驚愕の光景が…

実はここ、廃虚のようなボロボロの建物の中に湧く、温泉マニア垂ぜんの秘湯中の秘湯。筆者は昨夏、本誌温泉面の取材も兼ね初訪問したのだが、那須湯本温泉街から林道に入り、そこを進んでいき、目の前に飛び込んできた老松温泉の建物の“崩壊寸前”ぶりに絶句した。

この廃虚のような建物の中に極上の湯が湧いていることを、誰が想像できようか…
この廃虚のような建物の中に極上の湯が湧いていることを、誰が想像できようか…

2階建て建物の北側ほぼ半分が崩壊状態。屋根や壁が抜け落ち骨組みだけのようになっており、まさに「廃虚」のような外観だったのだ。


建物は北側がほぼ崩壊し、骨組みだけになったあたりには布団や消火器などが散乱していた
建物は北側がほぼ崩壊し、骨組みだけになったあたりには布団や消火器などが散乱していた

近づいてよく見ると、消火器や布団なども散乱し、「ここ、大丈夫か…」状態。ただ温泉は営業していたのだ。小道をはさんで向かい側の建物にある受付で、経営者の男性、Hさん(当時67)に500円を払うと「いい湯だから、ゆっくり漬かっていってくださいよ」と言われ、再び温泉がある「廃虚棟」へ移動する。

廃虚状態の温泉棟の向かい側には受付棟があり、こちらは大丈夫だった
廃虚状態の温泉棟の向かい側には受付棟があり、こちらは大丈夫だった
受付棟には料金表もはってあった…「宿泊ができます」と書いてあるが数年前からは日帰り温泉しかやっていないとのこと
受付棟には料金表もはってあった…「宿泊ができます」と書いてあるが数年前からは日帰り温泉しかやっていないとのこと

玄関は2階部分にあるのだが、温泉は1階にある。恐る恐る階段を下りていくのだが、ミシミシと音がして、いつ崩落するかもしれないというリアルな恐怖に足がすくむ。

1階は電灯もほとんどついておらず、とにかく暗く“お化け屋敷”状態。数年前まで「旅館」としても営業していたといい、宿泊用の和室もあるが、クモの巣もあちこちにあり、床もへこんでいたりきしんだりするから、ビクビクしながら歩を進めた。

1階の廊下は暗く、床があちこちへこんでおり、崩落するかもしれないという“恐怖”とたたかいつつ温泉へ
1階の廊下は暗く、床があちこちへこんでおり、崩落するかもしれないという“恐怖”とたたかいつつ温泉へ

ようやく温泉エリアに到着。男女ともに内湯のみだ。小さな脱衣所があるのだが、そこも真っ暗。いよいよ浴室に突撃すると、そこにあったのは約1・5メートル四方の小さな木造湯船2つ。しかも、湯がたまっていたのはうち1つだけだった。

建物崩壊の危機を感じつつも、小さな湯船に湧く白濁極上湯に30分以上入り陶酔…ヴェルレーヌの「恍惚と不安」とは意味合いが全然違うか
建物崩壊の危機を感じつつも、小さな湯船に湧く白濁極上湯に30分以上入り陶酔…ヴェルレーヌの「恍惚と不安」とは意味合いが全然違うか

ほかに客がいたら妙な空気になったと思われるが、幸いゼロ。ただ、よく見ると白い濁り湯だったから、がぜん興奮してきた。さらに、温泉特有の香ばしいにおいが湯からただよっていたから、たまらない。

ゆっくり湯に漬かってみると、筆者が大好きな「ぬる湯」。湯の感触もソフトで、じわーっと肌から温泉成分がしみ入るような、まろやかで、実に「いい湯」だったのだ。

建物は崩壊するかもしれない。だが温泉はこんこんと湧き続ける
建物は崩壊するかもしれない。だが温泉はこんこんと湧き続ける

窓を開けると、外からは川のせせらぎが聞こえてくるし、熱くないからいつまでも入っていられる。まさに「廃虚の中に湧く極上秘湯」だ。

そんなこんなで完全にリラックス&満喫してしまい、気づくと30分以上も湯に漬かっていた。ただ冷静になるとここ、北側が半壊するなど、倒壊するかもしれない建物の一部でもあった。そう考えるととたんに焦ってきて、冷水しか出ない洗い場でおけをつかって体を流し、逃げるように湯から上がった。

受付棟に移動し、Hさんに「なぜ廃虚みたいな状態なんですか?」と直撃した。Hさんは開口一番「実は…温泉経営をやめたくてやめたくて仕方がないのよ」と衝撃的な告白。「もうからないし、365日、どこにも出掛けられないし…。廃業したい。でも、とはいえ、全国から秘湯マニアや廃虚マニアが来るし(笑い)。地元の常連女性たちからも『やめないで~』と言われるから、なかなかやめられないのよ~」と“廃業したいがやめられない”という葛藤の渦中にあることを激白した。

「老松温泉・喜楽旅館」は約70年前、Hさんの父が創業。約10年前、跡を継ぐ形で那須に戻り2代目経営者に。だが風雨が強い地域であることもあり、数十年前から建物が徐々に壊れ始め、いつの間にか半壊状態になったという。

Hさんは「でもカネがなくて直せない」と、半壊状態のままである真相を筆者にぶっちゃけた。建物は今後どうなるのか聞くと「放っておけば、そのうち自然崩壊するでしょう」とのこと。

まさに「いつ廃業するか分からない“カウントダウン状態”の湯」。その後の近況を確認していないが、とにかく1日でも早く再訪する必要を感じる。仮に建物が全壊しても、温泉は湧き続ける。諸行無常である。【文化社会部・Hデスク】