名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」第16回は、岡本真夜のデビュー曲「TOMORROW」です。歌詞にある「涙の数だけ強くなれるよ」「明日は来るよ、君のために」といったメッセージが今も多くの人たちを励ましています。そして何より岡本自身が、焦燥と不安の末に、未来への希望をつかんだ曲でした。

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「残念だけど、うちじゃダメだね」。高知から歌手を目指して上京した岡本真夜は、事務所の社長と一緒にデモテープを持ち、電車を乗り継ぎレコード会社を回ったが、返ってくる答えは一様に冷たかった。当時19歳。生まれて初めて作ったデモテープは、後に200万枚のミリオンセラーになる「TOMORROW」だった。応対に出た担当者に、生で歌を聴いてもらえるのはわずかで、門前払いも10社を超えた。

母親が元ソプラノ歌手の声楽家、姉はピアニストを目指すクラシック一家に育った。小さい頃からピアノを習い、音楽は常に身近にあった。高校生の時、ドリームズ・カム・トゥルーの曲を聴き、「歌手になる」と決めた。つてを頼って上京し、音楽事務所に所属した。ピアノの技術もあり、「歌も作ってごらんよ」と勧められた。

そんな時、高知市内のコンビニでアルバイトをしていた頃に意気投合した1歳年上の友人から、悩みごとを相談された。恋愛、仕事、人生のことなど聞いた。「彼女を慰める歌を作ってあげたい」。そう決意して岡本が人生で初めて作詞、作曲した曲が「TOMORROW」だった。

レコード会社「徳間ジャパンコミュニケーションズ」と出合い、当時、音楽事業本部長だった木村敏彦さんは「デモテープを聴いて声が輝いていた。取り立ててすごいテクニックがあるというわけではなかったが、声質にほれた」と話す。

上京してデビューが決まる前までに作ったのは約30曲。才能もさることながら、苦労の時間がその曲数に表れた。アップテンポよりしっとりとしたバラードが大好きだったが、デビュー曲には「TOMORROW」が選ばれた。大手美容企業のCM曲にも決まり、発売日も94年9月に設定された。

ところが、CM曲はビッグネームの男性歌手の曲に代わってしまい、発売も延期された。その後も、曲調の見直しなどで、95年2月に変更された発売日も延期が決まった。「デビューの日は、本当に来るのかしら」。不安と焦燥感が岡本を襲ったが、涙の数だけ岡本は強くなり、信じていた明日はやってきた。TBS系ドラマ「セカンド・チャンス」の主題歌に決まったのだ。こうして95年5月、「TOMORROW」がついに発表された。

当時、世の中は、阪神・淡路大震災のショックから抜け切れず、被災地の様子が連日報道されていた。「親友を歌で慰めてあげたい」という思いで作ったこの曲が持つメッセージ性が、あっという間に全国に伝わった。それまで、友人と自分の2人だけを元気にしてくれた曲が、どんどん独り歩きし、日本中の人の心に勇気と希望を与えた。

年末のNHK紅白歌合戦への初出場も決め、スター歌手の階段を駆け上がり始めた。岡本は「私にとって今でも元気になりたい時に聴きたい曲です」と語る。

「涙の数だけ強くなれるよ」。この歌詞を贈られた友人はその後、高知で看護師として元気に働いているという。【特別取材班】

※この記事は96年11月20日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。